本コーナーで掲載する経営者インタビューは、Podcast「社長に聞く!in WizBiz」で配信中の経営者インタビューを編集しています。今回、ご紹介する経営者は、大田原裕美氏(株式会社アメージング・フューチャー 代表取締役社長)です。(2020年2月 5日 2020年2月12日 配信)
ベンチャー・リンクの社員時代に、女性専用フィットネスクラブ「カーブス」のアメリカ本部との交渉を担い、日本法人設立に関わられます。その後、「カーブス」の事業に惚れ込み2007年にフランチャイズに加盟し、経営者として独立したエピソードから経営のヒントが得られます。大田原裕美氏の経営者インタビューをぜひお読みください。
新谷哲:今回の経営者インタビューは、株式会社アメージング・フューチャーの大田原裕美社長です。まずは経歴をご紹介します。東京都出身。フェリス女学院高校、国際基督教大学を経て、株式会社ベンチャー・リンクに入社をし、女性専用フィットネスクラブ「カーブス」のアメリカ本部と交渉。カーブスジャパンの設立に携わりました。その後、自らカーブスのフランチャイズに加盟し、現在は14店舗の経営をされていらっしゃいます。ちなみに、ベンチャー・リンク時代は私の後輩でした。本日はよろしくお願い申し上げます。
大田原裕美:よろしくお願いします。
新谷哲:最初のご質問です。ご出身は東京都出身とのことですが、小学校・中学校時代はどのように過ごされましたか?
大田原裕美:小学校の時は、ひとりっ子で、大人しい子どもでしたが、3年生の時に担任の先生の影響を受け、積極的で活発な性格になります。また、勉強が好きでした。母親が勉強を教えるのがとても上手で、勉強で競争して1番を取っていくことが好きでした。自分で中学受験したいと言って塾に行かせてもらい、気に入った中学に入学したという、そんな小学校時代でした。
新谷哲:私は大田原裕美社長からは、四谷大塚で1位を取ったと聞いた記憶がございます。当時の四谷大塚は全国でもトップの塾でしたので、日本一頭の良い小学生だったのですよね?
大田原裕美:1番ではなく、3番です、すみません。酔っぱらって1番と言ったかもしれないです(笑)。
新谷哲:そうでしたか(笑)。でも、全国でもトップレベルで頭が良かったのですね。
大田原裕美:頭が良いというか、勉強にはまりました。何かに集中をして極めていく、という喜びを、小学校時代に知ったかもしれません。
新谷哲:なるほど。中学校時代はどのように過ごされましたか?
大田原裕美:中学校時代は何を間違ったか女子校に行きました(笑)。何をしたかと言いますと、小学校時代とはうって変わって勉強しなくなりました。フラフラと遊びましたし、吹奏楽部に入りホルンという楽器を吹くなど楽しみました。ホルンは大学まで吹いていましたね。
新谷哲:大学までということは、高校時代も吹奏楽部だったのですか?
大田原裕美:そうです。中高一貫校だったので、ずっと続けていました。
新谷哲:高校時代の思い出はございますか?
大田原裕美:高校時代もフラフラと遊んでいました。勉強や受験に関しては、小学校時代の科目に英語を加えて大学入った、みたいな感じでした。学校の校風も家庭も「自由」でしたので、好きなことをとことんやりました。また部活では、部長もやらせていただきました。100人近い部員をまとめることを体験し、難しいと思いながら手探りで頑張ったという思い出があります。
新谷哲:部長をされたということは、目立っていたのですか?
大田原裕美:そうですね。昔から目立つ性格ではありました。
新谷哲:リーダー的な女性でいらっしゃいますね。高校卒業後、国際基督教大学へ進学されますが、こちらを選ばれた理由はございますか?
大田原裕美:色々と受けて、国際基督教大学だけ受かりました。また、自由な校風も気に入りました。今でこそ皇室の方がいて、ちゃんとした大学という雰囲気がありますが、当時は帰国子女だらけの型にはまらない校風でした。その校風が自分に合っていると思い受験し、入ったらとても合っていました。
新谷哲:大田原裕美社長の自由な性格に合っていたのですね。大学時代はどのような思い出がございますか?
大田原裕美:そうですね。やはり、気の合う友達ができたことが一番の思い出です。親からは一人暮らしをしてはいけないと言われたので、同級生の女の子とアパートを借りました。アルバイトをして家賃を稼いだり、その子と一緒にバックパッカーでアジア中を旅行したりもしました。
新谷哲:大学時代も本当に自由だったのですね。大学卒業後は、新卒でベンチャー・リンクに入社をしていますが、ベンチャー・リンクを選んだ理由をお教えいただけますか?
大田原裕美:1つ目の理由は、給料が高かったからです。新卒で年収400万円以上をいただけました。2つ目の理由、採用までのスピードが早かったからです。コンサルティング業界で探していくつかの会社を受けました。他の会社が二次選考ぐらいの時に、内定をいただけるくらい早かったです。また、ベンチャー・リンクに入る前に会った先輩方を見て「自分の意思で色々なことを切り開いている。ここでなら自分も活躍できるかもしれない」と思わせていただいたことが一番の理由です。
新谷哲:ベンチャー・リンクに入って、勉強になることはございましたか?
大田原裕美:とても勉強になりました。父が銀行員のサラリーマン家庭だったので、経営者になろうとは思っていませんでした。入社した時も、今のように経営者になるとは想像もしていませんでした。
新谷哲:ベンチャー・リンクで、カーブスを最初に見つけてきたのは大田原裕美社長ですが、これはどうやって見つけたのですか?
大田原裕美:当時は、全国展開できる、新しい事業を探す部署におりました。事業を探すために色々な本を読んだり、色々な方のお話を聞きました。その中でたまたま、シニアビジネスを紹介する本を読んだときに、カーブスを見つけました。ベンチャー・リンクはハードワークな会社でした。当時は首を痛めたり、肩こりがあったりしたので、健康のために運動をしようと大手フィットネスジムに入会します。しかし私は運動が苦手でした。忙しい中、時間を作り、日曜日などにジムにいきましたが、運動が苦手なので1日仕事になってしまいます。それなのに何万円という会費を払い続ける生活をしていたときに、「30分で女性だけでコンビニフィットネス」というカーブスの紹介を目にしました。見た時に「これは日本でも流行るぞ!」となりました。
新谷哲:なるほど。カーブスとの交渉で苦労したことございますか?
大田原裕美:そうですね。当時のカーブスはアメリカで8500店舗あり、ギネスブックにも載るようなすごい急成長のチェーンでしたが、競合他社もございました。ベンチャー・リンクの社内でも、カーブス以外の案件がいくつも候補にありました。その状況からいかにして社内で理解を得るか、カーブスの理解を得るかをプレゼンテーションすることは大変でしたが、楽しかったです。
新谷哲:なるほど。その後、独立してこのカーブスの加盟店になりますが、独立の経緯などをお教えいただけますか?
大田原裕美:ベンチャー・リンクという会社は、仕事が楽しく、成長の機会をいただける場所でした。女性は人生の中で色々な選択肢があります。一生仕事を続けること、腰掛けで仕事をすること、専業主婦になるなどの選択肢がある中で、「仕事は自分を成長させてくれるもの」ということを教えてくれたのがベンチャー・リンクでした。そのため私は、「誰かの手伝いで仕事をするのではなく、男性と同じように自分が主役になって仕事をしよう」と20代前半で決めていました。しかし女性が主役になって仕事ができる企業は、当時の日本にはほとんどありませんでした。そこで「女性が中心になって活躍できる企業を自分で作ろう」と経営者になることを決めました。カーブスの加盟店になった理由は、提携交渉の段階で「女性が中心に働ける事業だ」と惚れ込んだからです。そのため、カーブスに加盟をして経営者として独立をしました。
新谷哲:そうでしたか。大田原裕美社長は現在、カーブスを14店舗も経営されていますが、広げていくことに対しての恐怖感などはございましたか?
大田原裕美: 1店舗を2店舗にする、2店舗を4店舗にする、という最初のうちは恐怖感がありました。今はそんなにないですね。女性ばかり50人の会社ですが、同じ志で一緒に頑張ってくれる仲間がおりますので。
新谷哲:カーブスは現在、全国で何店舗ぐらいあるのですか?
大田原裕美:2000店舗を超えました。
新谷哲:2000店舗を超える中で、現在もトップクラスの店舗経営をされておりますが、トップの店舗が作れる理由はございますか?
大田原裕美:カーブスの成功要因は色々あります。もちろん創業者のゲイリー・ヘイヴィン氏が作った運動システムは素晴らしいです。しかし、その中で繁盛している店舗としていない店舗がございます。その違いはスタッフです。スタッフがカーブスの使命である女性に筋トレの習慣をつけてもらうこと、に対して使命感を持てるか。お客様に愛情を持って接することを日々行えるかが大切です。また弊社の理念である「女性の自立」に向かって進んでいけているか、にも力を入れています。
新谷哲:なるほど。もしよろしければ、カーブスの事業についてご説明いただけますか?
大田原裕美:カーブスは女性が30分だけで手軽に運動ができる事業です。筋トレを中心に有酸素運動、ストレッチまでできることに価値があります。あまり知られていませんが、女性は20歳ぐらいをピークに、女性ホルモンの影響で筋肉がどんどん減っていきます。筋肉が減ることで太りやすくなったり、関節痛が起きたり、冷え性が起きたりと、日常生活に困ることが起きます。そのため正しい運動を行い、筋肉を付ければ健康になれる、という知識を拡げる必要があります。その中で一定数の方に会員になっていただいて、ならなくてもいい病気にならないよう、正しい運動習慣をつけていただくことを一所懸命にやっている事業です。
新谷哲:ご説明いただきありがとうございます。ここからは違う質問をいたします。事前に「好きなもの・好きなこと」をお聞きしたところ「仲間とお酒を飲む・家族で遊ぶ」とお答えいただきました。大田原裕美社長はお酒が好きなのですね。
大田原裕美:新谷さんには随分ご馳走になりました、ありがとうございます。
新谷哲:昔からお酒が好きなのですか?
大田原裕美:そうですね。私の年代は酒好きが多いというか、コミュニケーションといえばお酒を飲むことでした。それが学生時代から当たり前だったと思います。幸運なことに、私は女性の割にはお酒に強いので、今もとても楽しんでおります。
新谷哲:では、現在も結構飲まれているのですか?
大田原裕美:そうですね。飲んで太らないように、カーブスで筋トレをしております(笑)。
新谷哲:なるほど(笑)。次に座右の銘もお聞きして「特にないんですよね」とお答えになっています。そこで踏み込んでお聞きしたところ「アメイジングフューチャーかな?」とお答えいただきました。このアメイジングフューチャーは会社名でもありますが、どのような意味でしょうか?
大田原裕美:「びっくりするような素晴らしい未来」という意味で、社名にもいたしました。過去は変えられませんが、未来は自分次第で何とでもなります。現状では考えられない、びっくりするような素晴らしい未来を、自分の実力で切り開いていきたいと思っております。社員にもいつも語っておりまして、そんなびっくりするような未来を仲間と一緒に作っていきたいと思っております。
新谷哲:素晴らしいですね。次が最後の質問になります。全国の経営者、これから起業する方に向けて、経営者として成功する秘訣をお教え下さい。
大田原裕美:月並みですが、「とにかく諦めないこと」です。私は起業してから3年ぐらい、どん底を経験して苦労をしました。ベンチャー・リンクではそれなりに活躍させていただいていたので、「経営者になってもある程度できるだろう」と勘違いしていました。企業経営はこれまでとは全く違っており、食べるものにも困るぐらいの苦労をしました。しかし、自分がなぜ経営者になったのか、なぜ店を持ちたかったのを考え、諦めずに続けてきました。まだまだ小さい企業ですが、最初の信念を忘れずに諦めないことが、経営者として成功するために何よりも大切だと考えています。
新谷哲:大田原裕美社長、本日はどうもありがとうございました。
大田原裕美:ありがとうございました。
編集後記
大田原裕美社長は私の後輩ですので、昔からよく知っています。よく2人で飲み歩いたりもしました。当時から頭脳明晰で、頭の良さも含めて努力をされていることを想像させるインタビューでした。成功の秘訣で「諦めない」という言葉が出たときは「こうことを言うタイプだったかな?」と思ってしまうぐらい成長されていて、本当にすごいと心から感心してしまいました。やはり経営者として大切なのは「諦めないこと」だと、私自身強く感じております。
大田原裕美氏
株式会社アメージング・フューチャー 代表取締役社長
東京都出身。フェリス女学院高校、国際基督教大学を経て、株式会社ベンチャー・リンクに入社。ベンチャー・リンクで女性専用フィットネスクラブ「カーブス」のアメリカ本部との交渉を担い、日本法人設立に関わる。その後、「カーブス」の事業に惚れ込み2007年にフランチャイズに加盟し、株式会社アメージング・フューチャーを設立。
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本インタビューは、Podcast「社長に聞く!in WizBiz」で配信中の経営者インタビューを編集したものです。文中に登場する社名、肩書、数字情報などは、原則、収録当時のものですので、予めご了承ください。
今回は、大田原裕美氏(株式会社アメージング・フューチャー 代表取締役社長)の経営者インタビューを取り上げました。
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