成功経営者インタビュー

経営者インタビュー 大石良氏(株式会社サーバーワークス 代表取締役社長)

本コーナーで掲載する経営者インタビューは、Podcast「社長に聞く!in WizBiz」で配信中の経営者インタビューを編集しています。今回、ご紹介する経営者は、大石良氏(株式会社サーバーワークス 代表取締役社長)です。

幼少期からコンピューターに触れ、ゲームの作成などを通してプログラミングを学ぶ。2000年に前身となる会社を創業し、2002年に社名をサーバーワークスに変更。2019年3月にマザーズ上場しました。クラウドの先駆者的存在として、経営者の視点からクラウドを語る貴重な存在として注目を集めている大石良社長のお話しから、経営のヒントが得られます。ぜひ、インタビューをお読みください。

新谷哲:本日の「社長に聞く!in WizBiz」は、株式会社サーバーワークスの大石良社長です。まず、経歴のご紹介をします。1973年、新潟市生まれ、東北大学経済学部をご卒業後、丸紅株式会社でISP事業に従事。2000年に株式会社サーバーワークスを設立し、2009年からAWS専用のクラウドインテグレーターとして事業を展開。自らがクラウドの先駆的ユーザーとして、経営者視線からクラウドのメリット、デメリットを語る貴重な存在として注目を浴びています。2019年3月には、東証マザーズに上場をされています。大石良社長、本日はよろしくお願いします。

大石良:よろしくお願いします。

新谷哲:最初のご質問です。新潟ご出身とのことですが、小学校・中学校時代はどのようにお過ごしになられましたか?

大石良:この後の起業の話にも繋がるのですが、少し変わった環境で生まれ育ちました。自分の父親も祖父も、親戚一同みんな自分で会社をやっていました。そのため、小中学校時代は、自分の父親と遊んだ記憶はあまりありません。経営者として悪戦苦闘している父親を見て育ったので、「自分も経営者の道を歩くだろうな」と感じていました。

新谷哲:親戚の皆さんは、新潟市内で事業をしていらしたのですか?

大石良:はい。新潟県でやっていました。

新谷哲:大石良社長はお父様の事業をお継ぎになろうと考えなかったのですか?

大石良:父親は後を継ぐことを望んでいたみたいですが私は違いました。私はファミコン世代だったのですが、父親はファミコンを買ってはくれませんでした。「ゲームをやりたければ自分で作れ」という教育方針で、ファミコンを買ってくれない代わりに、パソコンを買ってくれました。自分でプログラミングを学び、世の中に出ているゲームに似たような物を自分で作ります。子供の時からずっとコンピューターに携わっていたことがきっかけで、コンピューターの道に進んでいきました。

新谷哲:パソコンを買われたのは小学校の時ですか?

大石良:確か、小学校5年生の時だったかと思います。

新谷哲:その頃だと、NECの98や88ですか?

大石良:最初に買ったのは、SHARPのX1という当時テレビパソコンと言われていた物です。新潟にはほとんど売っていなかったので、父親と二人で東京まで出てきて、秋葉原でそのパソコンを買って届けてもらった、という記憶があります。

新谷哲:周りにパソコンを持っている方は、いらっしゃらなかったのではないですか?

大石良:近くにNECのPC8801を持っている人がいました。あと、運がいいことに、家の近くに当時マイコンショップと呼ばれていた、中高生のたまり場になるようなコンピューターが並んでいました。皆でゲームを打ち込んで遊ぶというショップで、比較的情報交換はしやすい環境でした。

新谷哲:中学生時代もパソコンばかり触っていましたか?

大石良:部活の仲間ともゲームを作って遊んでいました。周りからは「おたっきーな事やっているな」という目で見られていましたね。

新谷哲:なるほど、高校も新潟の学校ですか?

大石良:はい、新潟高校に通っていました。

新谷哲:高校時代はどのようにお過ごしになられましたか?

大石良:高校時代は部活に明け暮れていました。変わった部活で、フェンシングです。中学時代の先輩がフェンシング部に入っており、入学式の日にたまたま先輩に呼び止められ「お前、部員少ないから入れ」という感じではいりました。フェンシングは面白くて、高校3年間みっちりやりました。

新谷哲:私の息子もフェンシングをやっています!

大石良:本当ですか!?

新谷哲:高校からですね。大学では辞めましたが、大石良社長と一緒で人数が少ないから入ったようです。

大石良:スポーツとして本当に面白いです。東京オリンピックは延期になってしまいましたが、今の日本はかなり強いので、メダルを期待されていた種目の一つでしたね。

新谷哲:団体は金か銀かと話題になっていましたし、太田選手が銀を取っていますので、良い競技だと思います。大学は東北大学に進学されますが、選ばれた理由はございますか?

大石良:一言でいうと親孝行をしようかなと思いました。母親は東北大学に行きたかったのですが、「経済的な理由で行けなかった」と子供の時から聞かされていたので「大学の進路くらい母親が叶えられなかった夢を叶えよう」と、東北大学一本で受験しました。

新谷哲:それで受かるのですから、勉強は相当できたのですね。

大石良:私の性格や事業展開にも関わるのですが、大学受験って沢山受けるから難しく感じるのだと思います。私は東北大学一本に絞っていたので、傾向と対策、点数の取り方などを東北大学に特化してやれたので、非常に効率よく受験勉強を進められました。

新谷哲:なるほど。高校では、勉強はできたのではないですか!

大石良:出来がいい学生ではなかったと思います。高校3年生の夏近くまで部活をやっていた為、人よりスタートは遅かったです。そのため勉強を始める前に、勉強の仕方を勉強しました。どのように勉強すると一番効率よく身につくのか?大学受験に求められているものは何か?とか、そういうことを徹底的に学びました。そして、効率の良い勉強の仕方をインプットし、後はそれに従い淡々と勉強しました。

新谷哲:今のお話しを聞いて大石良社長は、非常に論理的で、さすが、上場企業、IT企業の経営者だと感じます。大学時代はどのように過ごしていましたか?

大石良:大学時代では打ち込んだ事が3つあります。1つ目は、スキーサークルに入っていて、冬はスキーをやっていた事。2つ目は、オールシーズン通じて軽音学部に入っていました。子供の頃からずっとピアノをやっていてキーボードを担当しました。キーボードを弾く人は大学のバンドで少なく、重宝されて、いろんなバンドからお呼びがかかり、掛け持ちしていました。3つ目がパソコンです。特に大学生になってからはパソコン通信というものが始まります。今でいうインターネットの様なものが無く、電話回線で仙台市内の当時BBSと呼んでいたセンターに電話をすると、コンピューターが繋がり、仙台市の人たちとコミュニケーションが出来るというものです。この3つを、かなりのめり込んでやっていました。

新谷哲:では、パソコンは小学校時代からずっと続けていたのですね。

大石良:そうですね。好きか嫌いかで言ったら圧倒的に好きですね。

新谷哲:この後も、ガジェットが好きというお話しなど出てくるので、パソコンが本当にお好きなのですね。大学卒業後、大手商社の丸紅にご就職とされますが、選ばれたご理由はございますか?

大石良:たまたま入れた会社が丸紅でした。もともとITの会社に入るか、違う所に入るか、という選択が自分の中にありました。コンピューターが好きで、「コンピューターの会社をやろう」と中学校、高校生くらいの時に考えていたのでITの会社に入ってしまうと、自分自身がエンジニアで閉じてしまい視野が狭くなってしまうというイメージがありました。そこで、真逆の視野を広く持てそうな会社に入ろう、と最終的に商社を選択しました。

新谷哲:なるほど。丸紅ではISP事業に入られているのでコンピューター関係の仕事をされたのですか?

大石良:そうです。自分がエンジニアとして手を動かしたりする立場ではなく、営業や、企画などさせて頂いていました。技術は好きでやっていたので、そうではない所を学ばせて頂だけて、本当に運が良かったと思います。

新谷哲:丸紅に13年ほどいらっしゃったのですか?

大石良:いえ、5年弱です。96年に入社して、2000年の12月に退社しました。

新谷哲:5年というのは少し早いかと思うのですが、独立して経営者になるきっかけはございましたか?

大石良:はい。2000年に丸紅がISP事業を切り離し、別の所に売る事になったので、入社から5年近くやっていた業務が一区切り付くことになったのが、きっかけの1つです。また、2000年は丁度ITバブルが崩壊した時です。99年頃に起業している人は「一攫千金!」の様な方がとても多い時代で、私は「コンピューターをうまく使いビジネスにしたい」という思いがあり、彼らと一緒になるのは少し、もやっとするイメージがありました。それが2000年にネットバブルが崩壊し、本当に実力のある人しか生き残れない環境になったので、これ幸いと働きました。

新谷哲:丸紅の上司の方々にご反対されませんでしたか?

大石良:上司の方は応援して下さる方がすごく多かったです。独立後も最初の仕事を丸紅の関係の元上司、先輩の方々が出して支援してくださり、本当に周りの方に恵まれていると今でも感謝しています。

新谷哲:最初の事業は今のAWSではなくてサーバーの事業だったのですか?

大石良:実は立ち上げ時は全然違うeコマースの事業でした。

新谷哲:ほぉ~~!

大石良:1999年~2000年頃は、eコマースとして楽天がありました。楽天で商品を1つ出すのには年間の会費60万円くらいを最初に払って、やっと商品が出せるという価格体系でした。そこで「もっとeコマース民主化をした方がいい」と思い、「無料でスタートできる代わりに手数料でチャージします」というモデルでスタートします。店子さんが同じ商品を出してきた時は、自動的に安い商品が上に表示されるという、価格.comの機能のようなものをセットにしました。「売り手も買い手もみんな集まりやすいプラットフォーム」というコンセプト自体は結構良かったと思いますが、このモデルは事業者側に元手が必要なビジネスでした。資金集めを99年頃から動き始めていたのですが、みんな「いいね!資金を出すよ!」という感じでしたが、ネットバブルが崩壊してしまい、資金を出すと言う人が全くいなくなり、事業としては早々に上手くいかなくなってしまいました。

新谷哲:素晴らしいですね。今風にいうとユニコーン企業になれた事業ではないかと感じます。時期が時期でしたら100億円ぐらい集められたかもしれないですが、当時はそんなに資金は集められなかったのですか?

大石良:集められなかったです。リーマンショック級とは言わないですが「ベンチャーにお金は出さない」という感じでした。

新谷哲:では、eコマースの事業は止められたのですか?

大石良:はい。2001年「eコマースの事業は駄目だ」と考え、2002年に携帯向け事業に転換しました。当時は、iモード、J-スカイウェブ、EZwebの3つのキャリアがありました。コンテンツのフォーマットが違いましたが、携帯アットという名前で売り出して、特に大学に売れました。ちょうどオープンキャンパスを始めた時で、高校生に告知するためのツールとしてこの携帯アットが注目されます。すると、代理店さんが、「オープンキャンパスだけでなく、大学の合格不合格の案内も携帯でやってほしいというニーズがある」と教えてくれたので、大学の合格不合格のビジネスを始めました。これが2004年頃で、それなりに順調にいきました。しかし大学の合格発表は、2月の特定の日の朝10時から10~15分だけサーバーが200台くらい必要で、他の時期は必要ないという問題があります。これを解決できないか、と探っていくと、Amazonが仮想のコンピューターをネット越しで貸してくれることを、うちのエンジニアが突き止めました。自分たちで使ってみて「なんだこれ!?凄いぞ!」となり、本格的に売り物にしようと2008年に事業転換していきました。

新谷哲:なるほど、創業の時から随分と事業が変化していますね。2019年に上場をされていますが、上場はいつ頃から目指されましたか?

大石良:本格的に上場を目指したのは2013年からになります。

新谷哲:それまで上場しようとは考えなかったですか?

大石良:そうですね、2013年以前はほとんど考えることはなかったです。

新谷哲:世代的に言うと、ガイアックスの上田さん、楽天の三木谷さん、ホリエモン、サイバーエージェントの藤田さんが同じインターネット事業者として上場していきましたが、そういう雰囲気はなかったですか?

大石良:雰囲気というか「上場するとビジネスがスケールアップするので良い」という認識はありました。上場を目指した転機が2つあります。1つ目が2009年頃、仲が良かった友人が突然亡くなった時です。それまで自分が死ぬイメージはなかったですが、友人の突然死を目の当たりにして「あっ、自分もいつか死ぬのだ」と当たり前の事に気づかされました。自分が死んだ時に「このままの状態で本当に自分の人生良かったと言えるのか?」と思うようになりました。それまでは「スモール&エクセレント、小さくても良い会社でいよう」という思いが強かったです。しかし、「事業を起こしてがんばってやっている以上、社員にも、周りの人にも、社会にもインパクトを与えられるような存在にならないとダメだ!」と思うように至りました。もう1つのきっかけは、震災で、日本赤十字社さんのサイトがダウンしてしまい、縁があり私たちが駆けつけ、AWSでレスキューした事です。その後に「義援金のシステムも用意が間に合わないので急遽やってくれ」と頼まれ、そこから48時間で義援金のシステムを立ち上げ、3200億円の義援金を私たちが作ったシステムで集めきった事がありました。この時に自分達がやっている事が本当にお客様のITインフラ、心臓部を預かってビジネスにしている、と改めて確認しました。そして「お客様が自らの心臓を、我々みたいなベンチャーに預ける以上、それに値する会社だと確信できるように、私達は会社のレベルや経営レベルをアップデートしていかなければならない」という思いに至りました。そのため、2013年頃から本格的に上場を目指して活動をしていきました。

新谷哲:なるほど。では、上場に向けての苦労はございましたか?

大石良: 2018年に上場するという計画で進めていましたが、上手くいかなくて、証券会社さんと議論し、1年延ばす事になりました。上場に向けて頑張ってきましたが、突然ゴールがずらされてしまい、皆がショックでもぬけの殻になってしまったという厳しい経験をしました。

新谷哲:原因は業績、内部統制のケースが多いと思われますが、他に原因がございましたでしょうか?

大石良:業績、内部統制両方です。結局、ちゃんと利益が出るような体制になっているか、利益を計画的に出せるかが上場の論点になります。両方が上手くかみ合っていないと証券会社としてもオッケーとは言えないので、その両方が問題だったと理解しています。

新谷哲:なるほど。ありがとうございます。そうしましたら、サーバーワークス様の事業内容をお教え下さい。

大石良:私たちの事業は非常にシンプルです。AWSを使いたいというお客様へAWS導入のご支援と、AWSを入れた後の運用のお手伝いをしています。AWSはAmazonから直接買う事も出来るのですが、Amazonから買う場合は、クレジットカードで、ドル建てで払わないといけないのです。我々を経由していただくと日本円で、請求書も調達できます。更に、私たちがクラウドオートメーターという名前でAWSの運用を自動化するSaaSを作っているのですが、これもバンドルされてくるのです。クラウドは使ったら使った分だけ払う、という料金プランで、逆に言えばAWSは使わない時に電源オフにすると料金がかからないので、コスト削減ができます。必要のない時は落とす、必要な時は自動的に立ち上げる、この様な作業を私たちのクラウドオートメーターというSaaSを使うと、自動化できるのです。そのため、我々から調達していただいた場合、コストをコントロールでき、AWS導入から運用までご支援をさせて頂いております。

新谷哲:お答えいただきありがとうございます。ここからは違う質問をいたします。好きな物、好きな事を事前にお聞きしておりまして、「仕事・楽しい飲み会・最新のガジェット・家族と一緒に過ごす事・好きな音楽を聴く事」とお答えいただきました。ガジェット好きという事ですが、最近のオススメガジェットやIT機器はありますか?

大石良:あまり共感は得られないと思いますが、DAPというデジタルオーディオプレイヤーがオススメです。私は音楽をよく聞くので、いい音で聞きたという欲があります。しかし、マンションに住んでいる方はスピーカーで聴く事は難しく、ヘットホンやイヤホンを使われると思います。実はパソコンに繋いでもいい音って聞こえないのです。例えばパソコンのノイズが載ったり、ヘットホンやイヤホンを鳴らしきるに十分な圧力がなかったりするのです。DAPは音楽を流すための専用の機械で、安いものは5000円~1万円、高いものだと100万円越えする物もあります。私は10万円台のものですが、ハイレゾ音源という凄くいい音で聞いています最近買ったガジェットの中で、非常にコスパのいい投資でした。

新谷哲:ありがとうございます。次の質問にまいります。座右の銘もお聞きしているのですが、「蒔いた種のとおり花が咲く」とお応えいただきました。中村天風の言葉を選ばれる方は非常に多いですが、こちらを選ばれた理由と意味を教えて頂けますか?

大石良:経営者になって20年になりますが、今起きていることは全部、過去にやってきた事が跳ね返ってきているのです。様々なトラブルや、後悔すること、面白くないこと、社員の方とかにイライラしたりすること、経営者の方であれば絶対沢山あると思います。しかし、それは間違いなく過去の自分の判断や、コミュニケーションが跳ね返ってきているのです。それに気付くと、イライラするのではなく、「これは自分が過去、こういうことをやったからこう言われているのだ」や「過去にこういう事をしたから社員が、こういう行動起こしたのだ」というつながりが見えてきます。そういう物事のつながりは自分にすべての責任があるので「今こういう行動すれば将来こうなるだろう」と、明るい展望も開けます。今の自分にイライラしなという事と、将来は自分の手に掛かっているという意味で、「蒔いた種のとおり花が咲く」のであるという中村天風先生の言葉を座右の銘にさせて頂いています。

新谷哲:大変すばらしいお話しをありがとうございます。次が最後のご質問になります。全国の経営者、これから起業する方に向けて、経営者として成功する秘訣をお教えください。

大石良:経営者として成功するには、普段からの取り組みが大切です。ついこの間、ソフトバンクの孫正義社長が「あと7.8年は経営者をやれる」とおっしゃっていましたが、あれが経営者の姿だと思います。あそこまで行っても、まだまだやれる事があり、売上を2倍、3倍にできる。まだ成功していないという内なる思いが経営の本懐ではないかと思います。私は上場をしましたが、あくまで通過点です。これから先も私たちは、「クラウドで世界をもっと働きやすく」というビジョンを掲げ、このビジョンに向かい経営者、社員、力合わせて頑張っていきます。これが成功の秘訣だと考えていますし、これからも私たちはそうあり続けたいと思っています。

新谷哲:大変すばらしいお話をありがとうございます。大石良社長、本日はどうもありがとうございました。

大石良:ありがとうございました。

編集後記

今回は株式会社サーバーワークスの大石良社長でした。論理的で理路整然とされていて聡明でいらっしゃいます。IT企業の経営者様らしく、小さい時からパソコンに慣れ親しみ、プログラミングなどやっていらっしゃいましたね。座右の銘である、中村天風の「蒔いた種のとおり花が咲く」では「常に理想が先にあるからまだ成功してない」とおっしゃっていましたが、実は株式会社ファーストリテイリングの柳井正社長も同じことを言っています。これが経営者としての正しい姿勢ではないかと反省をいたしました。経営者の皆様もぜひ、大石良社長のように常に理想を追い続けて成功社長になっていただければと思います。

大石良氏
株式会社サーバーワークス 代表取締役社長

幼少期からコンピューターに触れ、ゲームの作成などを通してプログラミングを学ぶ。2000年に前身となる会社を創業し、2002年に社名をサーバーワークスに変更。2019年3月にマザーズ上場。クラウドの先駆者的存在として、経営者の視点からクラウドを語る貴重な存在として注目を集めている。

※本インタビューへの出演をご希望の方はこちらよりご応募ください。

本インタビューは、Podcast「社長に聞く!in WizBiz」で配信中の経営者インタビューを編集したものです。文中に登場する社名、肩書、数字情報などは、原則、収録当時のものですので、予めご了承ください。
今回は、大石良氏(株式会社サーバーワークス 代表取締役社長)の経営者インタビューを取り上げました。

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