成功経営者インタビュー

経営者インタビュー 澤登拓氏(株式会社フレアス 代表取締役社長CEO)

本コーナーで掲載する経営者インタビューは、Podcast「社長に聞く!in WizBiz」で配信中の経営者インタビューを編集しています。今回、ご紹介する経営者は、澤登拓氏(株式会社フレアス 代表取締役社長CEO)です。

大学生の頃に中国で漢方治療と出会い、病弱だった身体が復調。このことをきっかけに漢方治療を始めとした東洋医学を学ぶ。
学んだことを日本に広めるため、2000年に株式会社フレアスを起業。訪問マッサージの分野で実績を積み上げ、2019年3月に上場したエピソードから、経営のヒントが得られます。ぜひ、インタビューをお読みください。

新谷哲:今回の経営者インタビューは株式会社フレアスの澤登拓社長です。まずは経歴をご紹介します。1969年生まれ、山梨県ご出身。北陸大学外国語学部を卒業後、北京中医薬大学に留学。鍼灸マッサージ師となられます。その後、東京医科歯科大学大学院修了し、株式会社フレアスを創業。2019年3月には東証マザーズに上場いたしました。本日はよろしくお願いします。

澤登拓:よろしくお願いします。

新谷哲:最初のご質問です。ご出身は山梨とのことですが、小学校・中学校時代はどのようにお過ごしになられましたか?

澤登拓:小学校時代の私は、今とは正反対の性格でした。心が繊細で、内向的な性格でした。限られた数人と本が友達で、当時はずーっと本を読んでいました。大人になり、社長になった事を同級生へ伝えると「お前が社長で、しかも上場したのか!?」と大変びっくりしていました。

新谷哲:その頃読んだ本で、思い出の本はありますか?

澤登拓:ドリトル先生シリーズなど子供向けの冒険小説が大好きでした。創造を広げワクワクしていた「妄想力」は、もしかすると今の仕事に役立っているかもしれません。

新谷哲:高校も山梨県内ですか?

澤登拓:はい、そうです。しかし高校にはあまり行っておらず、いわゆる不登校、ニートでした。というのも、小学校時代にストレス性の十二指腸潰瘍という病気になってしまったからです。繊細な子供だったので、自分で勝手にストレスを多く感じていたのでしょう。激痛でうずくまるほどの発作が日に4回~5回ほどありましたが、当時は病院に行っても病気が発見されませんでした。汚い話で恐縮ですが、ある日トイレに行ったら真っ黒の大便が出てきました。下血と言って胃から出血して便に混じっていたのです。それを見て母親もびっくりし病院に行ったのですが、胃がぐちゃぐちゃになっていて手遅れの状態で、みぞおちからへその横までの開腹手術をしました。中学生の時に大手術を経験したものですから体調がすぐれず、高校にはあまり行かずにいました。

新谷哲:今の元気な姿からは想像がつかないです。

澤登拓:9歳からお腹が痛くなり、19歳までは暗黒の10年間でした。体調が悪く、頭の中もマイナス思考になっていました。

新谷哲:なるほど。その後、北陸大学外国語学部にご入学されていますが、選ばれたきっかけはございますか?

澤登拓:高校はなんとか卒業させてもらえましたが、その後なにもせずニートとしてボーっとすごしていました。1年経った頃、担任だった先生が僕のところにやってきて、「行けそうな大学を探してやるから何とか推薦で入れ」と後押しをしてくださいました。とても素晴らしい先生でした。それでたまたま中国語学部に入り、中国に行きます。そこが人生の転機になり、私の運命がガラッと変わっていきました。

新谷哲:そうでしたか。北陸大学にご入学ということは、金沢に住まれたのですか?

澤登拓:はい。家賃が1万9000円、共同トイレ風呂無し、大正12年に建てられた一軒家の応接間を間借りし、ゆかりのない金沢の地で初めての一人暮らしをしました。

新谷哲:一人暮らしで不安はありましたか?

澤登拓:もう、不安だらけです、引きこもりのニートでしたから(笑)。大学では中国語を学んでいたのですが友達はいなく、日本語を一切話さず一日過ごす日々でした。

新谷哲:本当に今からは想像できません。大学時代は勉強ばかりで友達はできなかったのですか?

澤登拓:大学1年生までは、です。転機が2年生の時に訪れました。

新谷哲:どのような転機ですか?

澤登拓:大学の行事で中国に短期留学に行き、人生で初めてモテたんです!中国の北京に行ったのですが、天安門事件のすぐ後でした。今の様に経済発展している中国ではありませんので、自転車がたくさん走っていました。単なる大学生でしたが、日本人というだけでチヤホヤされました。「日本は生きづらいけど、中国は楽しい!これは短期ではなく本格的に留学しよう!」と不純な動機で中国行きを決めました(笑)。

新谷哲:なるほど(笑)。大学2年生の時に短期留学で行き、北陸大学卒業後に本格的に留学されたのですか?

澤登拓:短期留学から帰国し、休学をして中国の北京師範大学という普通の教育大学に行きました。依然胃腸の調子は悪かったので、語学留学の傍ら、折角中国に来たので漢方治療を受けることにしました。すると、10年間、痛くて痛くてたまらなかったお腹が、元気になったのです!先生に「何をやったのですか!?」と聞くと「これが19歳としての普通の体調なんだ、貴方は漢方で元に戻っただけなのだよ」と言われました。漢方薬や気功、針などの東洋医学により、10年間の苦しみが消え「これは素晴らしい」と感銘を受けました。僕は、「漢方医学の素晴らしさを、日本に持ち帰り広めよう」と今の仕事に紐づく一歩を踏み出しました。

新谷哲:そこから、北京師範大学とは別の大学に移られたのですか?

澤登拓:はい。北京中医学大学という漢方を学べる大学に編入しました。

新谷哲:そこから鍼灸マッサージ師となられていますが、漢方医ではなくマッサージ師を目指した理由はございますか?

澤登拓:中国では漢方、鍼灸の両方を勉強しました。中国では5年間学び漢方医になると、医師として認められます。しかし、免許をとっても日本では使えないということが入学してから分かりました。日本で東洋医学を広めたいという思いがあった為、帰国し学校を探しました。しかし、思った通りの学校はなかなか見つからず、一番近いのが針灸マッサージでした。「ここであれば東洋医学が学べる」と熱海にある東海医療学園専門学校へと入り、卒業後に鍼灸マッサージ師になりました。

新谷哲:その後、東京医科歯科大学の大学院に行かれていますが、いつ頃ですか?

澤登拓:経営者になってからです。まだまだ学びが足りないと思い、社会人兼大学院生として夜間に通いました。

新谷哲:では最初の事業は、マッサージ師からスタートされたのですね。

澤登拓:そうです。20年~30年前の話ですが、針灸マッサージ師は国家資格でありながら食べるのも難しい時代でした。最初は、接骨院に就職したのですが、1日40人ほどマッサージをして、給料は10万円でした。3か月経ち正社員になりましたが、手が腫れるほど働いても給料は13万円、社会保障もありませんでした。「中国に戻ったほうがいいのでは?」と悩みましたが、「日本で東洋医学を広める夢がある」と踏みとどまりました。雇用される側では夢の実現が難しいので、2000年に独立をしました。

新谷哲:独立から19年後に東証マザーズに上場にされていますが、創業当初から上場を目指していましたか?

澤登拓:まったく思ってないです。創業をした時は、貯金は0円でした。実家の応接間を事務所にして、弟をアシスタントとして引き入れ、2人で0から立ち上げました。20年前は上場が何かすら知らず、とにかく潰れないように、明日食えるようにと無我夢中でした。

新谷哲:上場を意識したのは何年前からですか?

澤登拓:最初に意識したのは10年後の2010年の頃です。まだまだ全国には広がっておらず、ニーズが高かったこともあり、業績が一気に伸びました。高齢者を支えるサービスなので困っている方のために、「山梨県だけではなく、全国に広げよう」と考えるようになりました。応接間が会社だと誰も面接には来てくれません。そこで「有名な横浜のランドマークタワーに入ったら人が来てくれるのでは?」と考えて入ると人が沢山来て、全国展開の可能性がどんどん膨らみ「これ、いけるんじゃないか!」と上場を意識しました。

新谷哲:その年の事業所数はどれくらいでしたか?

澤登拓:創業して5年後にランドマークタワーに入り、2010年までいました。ランドマークタワーに入ったときは5店舗2010年には20店舗になっていました。

新谷哲:順調に業績が伸びた理由はありますか?

澤登拓:1つはタイミングが良かった事です。20年前に介護保険がスタートすると、利用者の方が病院から在宅、居宅にどんどん出てくるようになりました。マーケットが開けた黎明期に事業を始めたことが大きかったと思います。もう1つは、スピード感です。13店舗まで自分一人で立ち上げたのですが、創業から数年間休みは0、正月もマッサージをしていました。年間出張250日、沖縄から北海道まで日本全国を飛び回り、目が覚めるとどこに寝ているのかわからない生活を続けていました。今思えば無茶苦茶な働き方ですが、情熱がありました。タイミングの良さと、熱意がうまく合わさり、成長していったと感じています。

新谷哲:お答えいただきありがとうございます。上場を目指されてから約10年で上場していますが、苦労はありましたか?

澤登拓:準備を始めたのは上場の3年位前からです。ホームランを打てなくてもいいので、失点をいかに少なくするかを意識しました。業績を上げる事はもちろんですが、書類の不備、などマイナスポイントをどう無くし守りを固めるか。今まで手薄だった部分を上場のため手厚くし力を入れていきました。

新谷哲:上場直前でのご苦労はありましたか?

澤登拓:上場にはドラマがあると言われますが、本当に色んなドラマがありましたキーパーソンが辞めていくなど、色んな問題が沢山浮き上がってきて解決するのに必死でした。詳しくは言えない部分もありますが、会社は緊張にさらされると、こんなにいろんなことが起こるのかと感じました。

新谷哲:もしよろしければ株式会社フレアスの事業内容をお教えいただけますか?

澤登拓:当社は主に、在宅療養されている方、もしくは老人ホームに入っている高齢者の方々、障碍者の方に、針灸マッサージ師が訪問してそこでマッサージなどを行う事業をしております。特徴的なのは、医療保険、健康保険が使えることです。週に2回~3回、国家資格を持った針灸マッサージ師が訪問し、痛みをとったり、歩かせたり、寝返りを打たせるなどをし、療養中の方に非常に喜ばれています。お客様からは、「寝返りも打てなく、トイレも行けなくて紙おむつをしていましたが、フレアスさんが来てくれたら寝返りを打てるようになった」「痛くて夜も寝られなかったが、ぐっすり寝れるようになった」などのお声を頂戴しております。健康保険が使えるので、高齢者であれば1割負担、数百円でこのサービスを受けることができます。在宅療養で塞ぎがちになり「もう俺は死んだ方がましだ」といわれる方も少なからずいらっしゃるのですが、「希望が持ててきた、来てくれるなら一緒に頑張ろう」と前を向いてもらえるやりがいのある仕事です。

新谷哲:ありがとうございます。違う質問をさせていただきます。好きなもの、好きなことお聞きして、「音楽鑑賞、ライブに行くこと」とお答えいただきました。どんな分野の音楽をお聞きになられますか?

澤登拓:ロック、ジャズ、ポップスなどが好きです。高校生の時は学校に行っていなかったので、ずーっと音楽を聴いていました。音楽だけが友達で、将来ミュージシャンになりたいと思っていたほど音楽が好きでした。

新谷哲:今も音楽を聴いたり演奏されたりなどはされますか?

澤登拓:今は聴く専門です。私はミュージシャンにはなれなかったのですが、音楽家の妻をもらいました。妻の音楽を聞くのが楽しみで「自分の夢を妻に託した」という感じです。

新谷哲:素晴らしいお話ありがとうございます。次に座右の銘もお聞きしています。「自利利他」これはどういった意味ですか?

澤登拓:これは当社の理念の根本にあります。「利他」とは、他人に利する事、その反対が「利己」エゴの事です。僕は子供のころ非常に利己でした。病気になり学校に行けなかったことを、ずっと親のせいだと思っており「親が厳しく僕の病気に気づいてくれないから」「学校の先生が僕をケアしてくれないから」とすべて他責だったのです。10年間そういうエゴを貫き、友達もできず孤独でした。中国に行き、漢方で元気を取り戻した時に「これを日本に持ち帰り日本の人を元気にしたい」と利他の考えに初めてなりました。そこから「高齢者の方に元気になってもらいたい!もっと喜んでもらいたい!」と人生は好転していったのです。10代のころ「働くことなどできない駄目な人間だ」と思っていた私が、まさか上場し現在グループ全体1400名ほどの会社を経営するとは思ってもいませんでした。世の中が急に僕にやさしくなったわけではありません。ここに至ったのは、私の考え方が利己から利他になったからです。数年前に稲盛和夫さんの盛和塾に入会し、そこで利他の気持ちを教わりました。「自利利他」という言葉があると知り、利他が私の人生感、人生哲学になったのです。

新谷哲:ありがとうございます。次が最後のご質問です。全国の経営者これから起業する方に向け経営者として成功する秘訣をお教えください。

澤登拓:成功の秘訣は「目線を高く理想を追い続ける」です。今は現場から離れ、経営の全体を見る形になりますが、私の役割は、「なんのために自分たちはこの仕事をやっているのか?」「どうやって日本に貢献するのか?」「どうやって存在意義を許される会社にしていくのか?」などの理念、目指す方向を示し続けることです。今に至るまでに、社員が辞めてしまったり、裏切りにあったりと色々なことがありました。それでもくじけずにこられたのは、応接間のときから「全国展開する」目標を掲げ続けていたからです。そのため、「目線を高く理想を追い続ける」が経営者として成功する秘訣だと考えます。

新谷哲:澤登拓社長様、ありがとうございました。

澤登拓:ありがとうございました。

 

編集後記

今回は澤登拓社長でした。座右の銘の「自利利他」という言葉には本当に共感します。また、ニートから上場企業の社長になれたのは座右の銘でおっしゃっていた通り、変われる瞬間があったからだと思います。私も澤登拓社長のように変わらなければと思い反省をしています。インタビューをお読みの皆様もぜひ澤登拓社長のマネをして成功社長になってください。

澤登 拓氏
株式会社フレアス 代表取締役社長CEO

山梨県出身。病弱で引きこもりがちな子供時代を過ごす。北陸大学外国語学部に入学し、留学先の中国で漢方治療により体調が回復。東洋医学を日本に広めるため、北京中医薬大学、東海医療学園専門学校にて漢方治療を始めとした東洋医学を学ぶ。1999年あん摩マッサージ指圧師、はり師、きゅう師の国家資格を取得。治療院勤務を経て2000年に株式会社フレアスを起業。仕事の傍ら東京医科歯科大学大学院に通い修了。訪問マッサージの分野で実績を積み上げ、2019年3月に東証マザーズに上場。「看取り難民ゼロ」の世の中を目指し日本の在宅事情を明るくするべく日々励んでいる。2015年やまなし大使に就任。

※本インタビューへの出演をご希望の方はこちらよりご応募ください。

本インタビューは、Podcast「社長に聞く!in WizBiz」で配信中の経営者インタビューを編集したものです。文中に登場する社名、肩書、数字情報などは、原則、収録当時のものですので、予めご了承ください。
今回は、澤登拓氏(株式会社フレアス 代表取締役社長CEO)の経営者インタビューを取り上げました。

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