短編の名手だった山本周五郎。そのひとつに「武道無門」という作品がある。気が小さく、皆から「臆病者」呼ばわりされている青年の物語である。
他人との比較は社会の奴隷に
「他人と比較をしたり、他人に依存してはならぬ。しかし、つねに、昨日の自分と今日の自分とを比較することを忘れるな。自分と他人を比較するだけでは社会の奴隷となってしまう。そして昨日の自分との比較を忘れると慣習の奴隷となる」
以上は、フランスの思想家、ルソーが記した『エミール』のなかに出てくる言葉である。他人と比較するだけは社会の奴隷、昨日の自分との比較こそ大切ということだ。要は自分らしくあれ! ということであろう。そこで山本周五郎が書く「武道無門」である。
主人公は宮部小弥太。28歳の青年武士だが、武士というのは形だけ。度胸がなく、他人のけんかを見るだけで体中が震えるというほどの臆病者だった。自分から戦いを挑んだり、責任ある立場についたりすることを避け、いつも逃げ回ってばかり。そんな自分の性格を変えたいと思い、いろいろ努力をしたが結局あきらめることになる。自分はいまのままでいい。自虐的に思い込んでいた。
しかし、そんな彼がある時、主君に抜擢される。主君自らが服装を変え、隣国の難攻不落の巨城を偵察に行くことに。その随行の2人のなかに小弥太が選ばれたのである。”なぜ自分のような者が、そんな大事な役目を命じられるのか”――小弥太青年はとまどった。もちろん、断わるわけにはいかない。言われた通り、彼も商人に扮して、隣国へのお供をすることになった。
自分らしくいこう。自分らしくいけばいいんだ
道中、小弥太は、そわそわと落ち着かずおかしな行動を繰り返した。時々消えていなくなり、いつのまにか戻ってくる。隣国の城下町に入ってもその行動は続いた。そうこうしているうちに、3人は巨城に着いた。しかし偵察をしているところを見つかってしまう。
「怪しい奴」とばかりに取り囲まれ、ついに追いつめられてしまう。万事休す、となったそのとき、小弥太が「自分がご案内をいたします」と言うなり、駆け出した。 小道から小道へ、路地から路地へ、抜けていった。そして1軒の店に入り、3頭の馬を牽いて出てきた。「早く、殿、早くこの馬に!」。 3人は馬に乗り、無事に逃げおおせることができた。
彼は万一の場合に備えて、逃げ道、抜け道をそっと調べ、馬の手配までしていた。自信にあふれた豪勇の人間であれば、前に進み、攻めることしか考えないかもしれない。 人一倍、慎重な彼だからこそ、そこまで細かく心を砕き準備することができたのである。
小弥太はこの労を賞され、責任ある立場に抜擢される。もちろん彼は辞退しようとするが、“自分らしくいこう。自分らしくいけばいいんだ”と心を決める。そして颯爽と登城するところで、この物語が終わるのである。
人間には多くの道があり、生き方がある。それは会社という組織のなかにおいても同じであろう。重ねていうが、他人と比較するだけでは社会の奴隷である。自分しか歩めぬ道を堂々と進むことこそ必要ではないだろうか。