成功経営者インタビュー

株式会社ユークス 代表取締役社長 谷口行規氏 インタビュー

本コーナーで掲載する経営者インタビューは、Podcast「社長に聞く!in WizBiz」で配信中の経営者インタビューを編集しています。今回、ご紹介する経営者は、谷口 行規氏(株式会社ユークス 代表取締役社長)です。(2022年4月20日 2022年4月27日 配信)

今回は、株式会社ユークスの谷口行規社長にお越し頂きました。

同社開発ゲームの、「プロレス団体WWE」シリーズは全世界で累計6000万本以上の販売を記録するなど、日本のみならず北米・欧州市場に向けても長年の実績を持つ、スタンダード市場に上場する企業の社長様です。
銀行や取引先の倒産など、幾多の困難があろうとも神風を吹かせ事業を拡大させてきた谷口行規氏の語る成功の秘訣とは?経営のヒントが得られますので、ぜひ、インタビューをお読みください。

新谷哲:今回の経営者インタビューは、株式会社ユークスの谷口行規社長です。まずは経歴のご紹介です。広島県出身。高校1年生時からゲーム会社と契約を結び制作に携わられます。その後大阪府立大学に進学し、3年生時の1993年にユークス有限会社(現・株式会社ユークス)を創業。2001年には、大阪証券取引所ナスダックジャパン市場スタンダード(現・スタンダード市場)に上場をされています。本日はよろしくお願いします。

谷口行規:よろしくお願いします。

新谷哲:最初の質問です。小学校時代はどのようにお過ごしでしたか?

谷口行規:外で遊ぶことが好きでしたが、同時に電子工作にもハマっていました。当時は電気屋さんの裏に真空管テレビなどが捨てられているような時代で、基板を頂いては自分ではんだ付けをし直して違う物に作り変えたりしていました。

新谷哲:モノづくりがお得意だったのですね!

谷口行規:どちらかというと、最初は壊すことが好きだったのだと思います(笑)。

新谷哲:中学校時代はどのようにお過ごしでしたか?

谷口行規:バレーボールのエースアタッカーとして部活動に勤しんでいた傍ら、パソコンにもハマっていました。小学生の頃にインベーダーゲームが大流行したのですが、お小遣いが1か月300円だったので、1回100円のゲームはできても月に3回でした。さらに、ゲーム機が置いてある喫茶店には学生服を着たままタバコを吸っているような人が大勢いて、思うように遊ぶことができなかったのです(笑)。そこで、ひどい目に合わずゲームを楽しむ方法を考え「自分で作ればいい!」と思いつきました。それまでのパソコンは高くて手が出ませんでしたが、ちょうどこの頃マイクロソフトとアスキーが“MSX”という共通規格を開発したことで値段が10分の1ほどに下がり、やっと手に入れることができました。最初は雑誌に書かれている通りにプログラミング言語を打ち込んで遊ぶことが精一杯でしたが、そのうち中身を改造するようになり、中学3年生の頃には1から自分でゲームを制作するようになっていましたね。

新谷哲:お子様の頃から頭がよろしかったのですね。

谷口行規:数学や物理は得意でした。理系なのだと思います。

新谷哲:高校時代はどのようにお過ごしでしたか?

谷口行規:この頃から「どうやってお金を稼いでいくか」ということに興味が向くようになりました。入学当初はバレーボールを続けようと思っていたのですが、入部するやいなや丸刈りにさせられてしまいまして。以降、女の子から全くチヤホヤされなくなり「花の高校生活がこんなことで終わってしまってはたまらない!」と退部を決めました。それから、ゴルフキャディ、肉屋、魚屋、八百屋などさまざまなアルバイトを経験しましたが、当時の時給は500円ほどで「いくらバイトをしても稼げないな…」と感じていました。そんな時に、通っていたパソコンショップで顔見知りとなった大学生がゲーム会社を立ち上げまして、「仕事でゲームを作ってみないか?」と声がけをされました。二つ返事で承諾しましたが、未成年なので業務委託契約書に保護者の同意が必要で、サインをもらう際には親とすったもんだがありました(笑)

新谷哲:高校1年生から個人事業主としてゲーム制作会社とご契約されるとは、素晴らしいです。仕事と学業の両立はどのようにされていたのですか?

谷口行規:学校が終わると自転車で10km先の会社に向かい、朝まで働きそのまま学校に行くこともありました。当時はゲームを作れる人材が非常に貴重で、会社にはパソコンショップを通じて繋がった大学生や、前職がNTTの人など、個性的で有能な方が多くいました。また、高校2年生の時には1年間アメリカ留学をしました。当時は交換留学先との単位互換がなく、帰国後は1学年下のクラスに入ったので、クラスの代表者には何かと私が就くことが多かったですね。仕事、学業共に、貴重な経験を色々とさせて頂いたと感じています。

新谷哲:それほどお仕事に打ち込まれていたということは、結構、稼がれていたのではないでしょうか?

谷口行規:最初の契約書が、月給40万円くらいでした。

新谷哲:かなり衝撃です。その後、大阪府立大学に進学されました。こちらを選ばれた理由はございますか?

谷口行規:もともと私は進学する気が無く「卒業後は仕事をする」と両親へと伝えたのですが、父は「殴り合いをしてでも大学に行かせる」という考えでした。結局、親にお金を出してもらい浪人をすることになったのですが、会社の隣にあった河合塾に通っているふりをして毎日出社をしていましたね。しかし、友人達がえらく大学生活を満喫している様子を見て、「仕事をしながら高校に通っていたし、仕事をしながら大学にも行けるのではないか?」と感じ、受験勉強に打ち込むようになりました。仕事との両立は大変でテスト範囲の半分くらいしか勉強することはできませんでしたが、翌年には無事大学へと進学することができました。広島県では19歳で成人式が行われていたということもあり、大学に入った頃にはもう立派な大人になっていましたね(笑)

新谷哲:予備校に通っていなかったことは、ご両親にバレなかったのですか?

谷口行規:今となってはカミングアウトしましたが、当時はバレていなかったようです。親に黙って運転免許を取得し車を買ったりもしており、「最近家の前に路駐している車、誰のかな?」と聞かれても、シラを切り通すズル賢い子供でしたね(笑)。

新谷哲:大学時代はどのようにお過ごしでしたか?

谷口行規:「バリバリ稼ぐぞ」という心持ちでハードに働いていました。大学に入る頃に広島のゲーム会社が破綻し給料を支払って頂けなかったので、大阪の会社と新たに契約を結びました。1年ほど経つとさらに稼ぎが良くなったので、税理士さんから「会社にしないと税金ばかりになるよ」とアドバイスを頂き、大学3年生でユークス有限会社(現・株式会社ユークス)を創業しました。

新谷哲:創業当初から上場をお考えでしたか?

谷口行規:最初は個人事業主の延長だったので、そこまで考えてはいませんでした。ところが創業1年目に差し掛かる頃、元同僚に「ものすごく高性能なゲーム機が発売されるから見に来ないか?」と誘われたのです。はるばる東京まで行って目にしたのが、ソニー株式会社が開発した発売前のPlayStation(プレイステーション)でした。この出会いをきっかけに「これからはゲーム開発にかかる人数・費用の桁が違ってくる、資金力を付けていかなければ」と感じ、上場を意識するようになりました。PlayStationの仕事を偶然頂けたこともあり、社員数は創業1年半で15人ほどに増えました。よく、仕事終わりにみんなで飲みに行っては「上場目を指して頑張ろう!」と話をしていましたね。

新谷哲:上場に向けてのご苦労はございましたか?

谷口行規:北海道の会社との取引が多かったので、株式会社北海道拓殖銀行や山一證券株式会社が破綻し、売掛金が飛んでしまった時は非常にまいりました。1作目のプレイステーションソフトが好評で、VC(ベンチャーキャピタル)や証券会社の偉い方々にも目をかけて頂けるようになった矢先の出来事でした。27歳頃から当時の株式上場の最年少記録を目指して取り組みを進めていたのですが、結局2年ほど延期することになってしまいました。

新谷哲:それは大変でした…。2001年には、大阪証券取引所ナスダックジャパン市場スタンダード(現・スタンダード市場)に上場をされています。上場後にご苦労されたことはございますか?

谷口行規:これもまた、取引先の会社が潰れたことで苦労をしました。相手はアメリカの会社で、当時の売上の7割を占めており、2400万ドルもの売掛金がありました。国際電話1本で倒産を告げられた時は、真っ青になりましたね。その頃は1ドル=70円台まで落ちていた時期でした。四方八方に手を尽くして、なんとか交渉でダメージをカバーすることはできたのですが、とても換金できるレートではなかったです。ただ、その後幸いにも一気に円安に振れたので、寝かせていた1億ドルを一気に換金しました。それにより2400万ドルは取りっぱぐれながらも、1カ月半後の決算にはなんとか黒字に戻すことができました。その時に「神風は吹く」と確信しました。

新谷哲:それはすごいお話ですね!ザックリ言ってしまうと、20億円を相殺できたという…!また、それほどのダメージをカバーできた交渉の秘訣はございますか?

谷口行規:16歳~17歳の頃にアメリカ留学をしたことで、考え方やノリのようなものまで身体で覚えることができました。そのおかげか、単純な意思疎通のみではなく「良いヤツだ」と思われるポイントを押さえることができたのだと思います(笑)。

新谷哲:ありがとうございます。もしよろしければ、株式会社ユークスの事業内容をお教えいただけますか?

谷口行規:弊社は、ゲームソフトの企画開発の他に、パチンコ・パチスロ液晶の開発、3DCG技術を使ったXR(クロスリアリティ)技術の開発などを行っています。このXR技術の開発は6年前から取り組みを始め、現在ではインタラクティブなライブイベントができるまでに発展しました。例えば、架空アイドルのライブイベントをリアル開催するとします。従来であれば録画した映像を流すことしかできませんでしたが、この技術を用いることで、観客はリアルタイムに架空アイドルと会話やジャンケンなどコミュニケーションを楽しめるようになりました。実際には、ステージ裏にいるモーションアクターを務める声優やダンサーの動きをキャプチャし、架空アイドルに連動させています。今後はこの技術をさらに発展させ、弊社が得意とするプロレスゲームや20年以上培ってきたアバター作成の仕組みと組み合わせ、メタバースの方面にも力を入れていきたいと考えています。

新谷哲:株式会社ユークスは来年で30周年を迎えられるそうですね。未来に向かい更なる進化をされていくのが楽しみです。

谷口行規:ありがとうございます。会社が永劫に存続するためにも、30周年を節目に企業ロゴを変更するなど様々な取り組みをしているところです。皆様に更なる感動をお伝えしていけるようチャレンジしてまいりますので、ぜひ楽しみにしていてください。

新谷哲:ありがとうございます。ここからは違う質問をさせていただきます。好きなもの、好きなことをお聞きして「自動車レース・釣り・料理・仕事」とお答えいただきました。世界的なレースで日本人初優勝をはたすなど、本格的に活動をされていたと伺っています。レーサーになられたきっかけはございますか?

谷口行規:車のゲームを作っていた流れで、サーキットでプロのドライバーに自分のチューニングカーを運転してもらったことがありました。横に乗せてもらったのですが、全く自分の車とは思えない走りを体感しまして「自分もできるようになりたいな」と憧れたのがきっかけです。始めて5年で全日本選手権に優勝してしまい引退も考えたのですが、今度は世界選手権への参加をすすめられました。1回出てみると、それまで見たこともないような、常識はずれな世界を見ることができて、さらに熱が入りましたね。そこから2年後に世界選手権で勝つことができたのですが、そのときに“ゾーンに入る”という体験をしたと思います。

新谷哲:現在もレースに出場されているのですか?

谷口行規:コロナ禍でレースも開催されなくなりましたし、経済情勢の不安定さも増大しました。どちらも中途半端になってしまっては元も子もありませんから、事業に集中するためにライセンスの更新を行わずに引退しました。
レース以外には、昔から料理や釣りが好きで凝っていましたが、今は仕事が一番充実していますね。

新谷哲:座右の銘もお聞きして「他力本願」とお答えいただきました。大変珍しくて驚いたのですが、こちらを選ばれた理由はございますか?

谷口行規:本来の「他力本願」は「人に頼って楽をする」という意味合いではなく、親鸞聖人の説いた「他力というは、如来の本願力なり」という教えから由来した仏教用語だと言われています。一人でできることというのは限られており、ゲーム開発をする上で最も忘れてはいけないのは、“チームで作る”ということです。そのため良いものを作る唯一の方法は、他力を本願にすること、即ち「周りの人を信用して頼ること」だと考え、座右の銘として大切にしています。

新谷哲:ありがとうございます。次が最後のご質問です。全国の経営者、これから起業する方に向け、経営者として成功する秘訣をお教えください。

谷口行規:30年近く会社経営を行う中で、事業継続が危ぶまれる場面は幾度もありました。しかし私は、どんな状況であっても「正直であること」を大切にしてきました。例えば、いい仕事ができるからといって高値を請求すれば、次に繋がる仕事は頂けなくなってしまいますよね。自分だけが儲けようと偽りやごまかしをするのではなく、正しいやり方でみんなが勝てる方法を模索した結果、win-winで良好な関係が築かれ、難局を乗り越えていけることができたのだと感じています。

新谷哲:大変参考になるお話でした!谷口行規社長、本日はありがとうございました。

谷口行規:ありがとうございました。

編集後記

今回は、谷口行規社長でした。高校時代から月40万円を稼いだり、自動車レースで世界1位を獲ったりと、驚きのエピソードが盛りだくさんでした。和やかな雰囲気でありながら、頭脳明晰で度胸のある素晴らしい経営者様です。また、「チームで仕事をすることの大切さ」を改めて認識いたしました。ぜひ皆様も参考に、共に成功社長を目指していきましょう!

谷口 行規氏
株式会社ユークス 代表取締役社長

広島県出身。中学生時代からゲームソフト作りに熱中し、高校1年生時にゲーム製作会社と契約を結ばれます。高校2年時にアメリカの高校へ編入した後、大阪府立大学工学部へ入学。1993年の大学3年時には、コンピュータソフトウェアの企画、開発、製造および販売を目的としたユークス有限会社(現・株式会社ユークス)を創業されます。1995年に製作したPlayStation用ソフト「闘魂烈伝」は、シリーズ累計100万本の大ヒットを記録。その後米国にターゲットを移し、現地最大のプロレス団体「WWE」シリーズを製作。約20年にわたり全世界で大ヒットし、累計6000万本以上の販売を記録されました。さらに2001年には、大阪証券取引所ナスダックジャパン市場スタンダード(現・スタンダード市場)に上場。2005年には窮地にあった新日本プロレスを子会社し、事業を立て直し復興の基盤を築かれました(2012年に同団体を株式会社ブシロードに売却)。また、かつては世界ツーリングカー選手権 (WTCC)にて日本人史上初のクラス優勝を果たすなど、経営者と同時にトップレーサーとしての顔も持ち、国内外で実績を残されています。

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本インタビューは、Podcast「社長に聞く!in WizBiz」で配信中の経営者インタビューを編集したものです。文中に登場する社名、肩書、数字情報などは、原則、収録当時のものですので、予めご了承ください。
今回は、谷口 行規氏(株式会社ユークス 代表取締役社長)の経営者インタビューを取り上げました。

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