スピードに即応できる準備を抜かりなく

歴史上、スピードが勝敗を決した事例は多い。大事なことはスピードに即応できる準備を各自が行なっているかどうかである。

独自の情報網を駆使し巨万の富を得る

ロスチャイルド家といえば、ヨーロッパで金融業を中心に活動しているユダヤ系の大財閥だ。もともとはドイツで開いた古銭商・両替商からはじまり、ヨーロッパに支店網を構築。初代の息子たちがロンドン、パリなどの支店をそれぞれ担当し、助け合いながら基盤を築いていく。とくにロンドン支店のネイサンが有名である。

1815年、フランス皇帝ナポレオンの最後の戦いとなったワーテルローの戦い。対仏連合国の中核をになうイギリスは、その戦費を国債で賄っていた。もしワーテルローでナポレオンが勝てば命運は尽き、国債は紙切れ同然になる。命運尽きた国が発行する国債を誰も買うはずなく、価格は暴落する。反対に対仏連合軍の勝利となればイギリス国債の暴騰は間違いない。

誰もが戦いの行方を注目していたとき、ネイサンがはりめぐらした情報網がいち早くナポレオンの敗北を伝えた。それは戦勝国となったイギリスのウェリントン将軍の連絡よりもはるかに早かったという。

情報を得たネイサンだったが、彼は国債の買いに走らず、逆に売って出た。ロンドンの公債市場は、ネイサンが売りに出たのをみて「ワーテルローでウェリントンが破れた」と受け止めて大混乱。相場は暴落をつづける。そしてワーテルロー勝利のニュースが広まったそのとき、ネイサンは二束三文になった国債の買いに転じたのである。ここでネイサンが得た巨万の富が後のロスチャイルド家の基盤となったとされている。まさに情報のスピードが、経済的な勝利をもたらしたのだ。

52キロの距離を5時間で駆け抜ける準備

日本においてスピードといえば、織田信長が本能寺の変で斃れ、その情報を入手した秀吉の「中国大返し」が有名だ。しかしそれよりすさまじかったのが、同じ秀吉による「大垣大返し」と呼ばれるものだ。大垣~賤ヶ岳間52キロを1万5000人の兵が、約5時間で駆け抜けた。マラソンランナーを凌駕するスピードだ。

信長死後、筆頭家老であった勝家と秀吉は反目しあう。両者は賤ヶ岳付近で対峙するのだが膠着状態がつづく。そこに岐阜で信長の三男・信孝が秀吉に叛旗をひるがえしたと情報がはいる。秀吉は1万5000人の兵を引き連れ岐阜に向かうが、軍勢が大垣に着いたとき「柴田軍が南下を開始した」との急報がはいった。そこで秀吉は一挙に反転し、賤ヶ岳に駆けつけるのである。

想定外の秀吉の登場に、勝家軍は撤収にかかるが、後に名高い七本槍の奮闘もあり、秀吉は勝利を収め、以降天下を手中に収めることになった。まさに天下分け目の戦いをスピードによって勝ちきったのである。

ただスピードだけではない。秀吉は52キロの行程中にあった村々に先発隊を派遣し、各戸に米を炊かせ、松明を準備させた。1万5000人の兵は、松明を途中で交換しながら、握り飯をほおばり行軍をつづけることができた。先のロスチャイルド家のネイサンも、事前に周到な情報網を作り上げ、事に対処している。

デジタルな現代社会では、情報をはじめとしたさまざまな事象にスピードが求められる。そのスピードに対応する構えを怠りなく各自がもっているか否か。現在はまさにそのことが問われているのである。

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