古代の大帝国ローマ。その衰亡の原因は、古来、さまざまな論議がある。そのひとつに「ローマは傭兵によって滅ぶ」という指摘がある。
太平の世に戦いは傭兵のものに
ローマ帝国の勃興と滅亡といえば、世界史に燦然と輝く一大エポックとなっている。そのありようは、しばしば現代世界にも置き換えられ、アメリカや日本の行く末がローマ帝国とトレースされたりもしてきた。
ローマ帝国、とくに東西に分離した後の西ローマ帝国の滅亡(西暦476年)については、その要因がさまざまな論議されてきた。そのひとつが「ローマは傭兵によって滅ぶ」というものだ。
平和な時代が続くなか、ローマの指導者層、貴族たちは、勇猛な戦士であった先祖の気迫を失い、飽食のうちに太平の夢をむさぼった。戦いは次第に、異民族の ゲルマン人などの傭兵、すなわち「雇われ兵」に任されるようになっていったのである。
本来、ローマは「自分たちの世界は自分たちで守り、築く」「市民は法の前に平等であり、各人がローマ全体の運命を自分の問題として考える」など、自立とそ れを守る勇気を根本にしたものであった。そしてローマの「共和制」がまだ本来の姿であった頃、武器の使用はひとえに、愛する国と守る財産をもち、立法への 参加が義務でもあり、利益でもあった階級の市民にかぎられていた。
外敵の前に内から破られる
しかし帝国の末期、征服の進展によって、戦争はしだいにひとつの技術となり、ひとつの職業へと堕ちていったのである。ローマ軍の本質は、もはや市民軍では なく、それぞれの傭兵隊長の私兵となった。給料をもらうから働くという者の集まりであり、文字とおりに、雇われ根性の集まりであったのだ。一方で傭兵を雇 う金を創出するために都市では重税がかけられることなり、経済を没落させていった。
栄光のローマは、やがて民族大移動という歴史の大波のなか、ゲルマン諸民族の侵入によって滅亡、その後支配者となったのは、傭兵隊隊長であった。外敵に破られる前に、ローマはすでに内から崩れ、破られていたのである。
ここで指導者が、市民が、国を守ることを忘れてはいけないなどと性急に結論づける気は毛頭ない。ただ国に関わらず、組織というものはいつしか惰性が忍び寄り、外からよりも内から崩れていくものだということは、知っておきたい。
「部下にまかせている」「彼らがうまくやるだろう」といった企業リーダーの考えは、人を使っているようで、じつは自分のほうが「雇われ根性」に陥っている のだ。栄枯盛衰は世の常ではあるが、それは人間の精神の栄枯盛衰であることも忘れてはならない。