人口わずか2000人、高齢者比率47%、総面積の約90%が山林の小さな町、徳島県上勝町(かみかつちょう)。そこにはなんと年収500万円を超えるおばあちゃん達が大勢いる。なかには年収1000万円というおばあちゃんも!料亭や寿司屋で、飾りとして使われる「つまもの」の葉っぱを採取し出荷する葉っぱビジネスで、町が変わった。山あいの町のいたるところで、1年中咲き乱れる、おばあちゃん達の大輪の笑顔――。その種を播いたのは、ひとりの男だった。
高齢者を元気にした魔法の葉っぱ
徳島駅からバスで1時間半、山に囲まれた町の一軒宿に泊まったときのこと。山で採れるもみじの葉などを料理の「つまもの」として出荷し、2億5000万円を売り上げる第三セクター、株式会社いろどりの取材に来たのだと宿の運転手に告げると、運転手はいった。「横石さんですね。うちの家内もいろどりをやっていてねぇ、朝から晩まで、横石さぁん、横石さぁんっていってますよ」
町で知らない人がいない、横石知二氏(48歳)こそ、葉っぱで町を変えた魔法使いだ。
葉っぱで何が変わったか――。葉っぱビジネスをはじめてから今年で18年、少子高齢化問題、医療費問題、年金問題、介護問題、環境問題……、現代の日本を騒がすこれらの問題が、この町から消えた。
「忙しぅて、風邪ひいてるひまなんてないよ~」、仕事が楽しくて仕方ないおばあちゃん達は健康になった。この町は高齢者比率が高い割に、寝たきりの人がほとんどいない。忙しいときは、家族で協力しあって作業をし、家族の仲がよくなった。稼いだお金で家を建て替えて、都市に出て行った息子夫婦が、孫が、Uターンしてきた。荒地にはもみじなどが植えられ、町の景観もよくなった。たかが葉っぱ、されど、町を変えた魔法の葉っぱなのだ。
文明の利器を使いこなすおばあちゃん
菖蒲増喜子さん(82歳)は、パソコンを1日に3度立ち上げる。横石氏が毎日更新しているいろどりからの情報や、自分が出荷した葉っぱの出荷量、売り上げ順位を確認するためだ。グラフなども読みこなして、次の日の出荷予定量を計算したりもする。忘れてはいけない、82歳で、だ。
昨日の売り上げは4万円強で全体の6位、「上には上がおるんよー」と悔しそうな菖蒲さん。それでもこのペースだと月に50万~60万円稼ぐことになる。「高く売れないと悔しい」「人に負けたくない」、気持ちは、ひとりの起業家だ。
葉っぱの出荷農家は190世帯、平均年齢は70歳。主力はおばあちゃん達だ。94歳で木に登るおばあちゃんだっている。誰もが、防災用の無線を利用したFAX、高齢者用に工夫されたパソコン、農協への連絡用の携帯電話、それらの機器を使いこなせる。横石氏はいう「80歳のいまよりも、いろどりをはじめる前の60代のときのほうがよっぽど老けて見えましたねぇ。脳を使っているから若返るんですよ」
はじまりは1枚の青もみじの葉っぱ
「たぬきじゃあるまいし、葉っぱがお金になるもんか」そういわれながらスタートしたいろどり事業、事のはじまりは何だったのか――。
昭和54年、徳島県立農業大学を卒業した横石青年は、農協の営農指導員として上勝町に赴任してきた、“よそ者”である。みかんと材木で細々と暮らしていたこの町には、農村特有の負け組意識が広がっており、補助金をあてにして、雨が降れば朝から酒を飲み、お互いの悪口をいい合う始末。町民の顔からは笑顔が消えていた。そこへ1981年の大寒波で町の主力作物のみかんが破壊的ダメージを受けた。
こんな町の現状をなんとか打破したいと考えていた折、大阪の料亭で、横石青年はある出来事に遭遇する。となりのテーブルの若い女性たちが、料理に添えられた青もみじの葉っぱを手にとり「これかわいい~」と、ハンカチに包んでもって帰ろうとしていたのだ。
「これだ! 山ばかりの町には、葉っぱなんて山ほどある」。そこから葉っぱビジネスを思いついたのだ。はじめは、「頭がおかしいんじゃないか」と批判していた町の人たちも、私費を投じて日々料亭に通い、つまものの研究を重ねる横石青年の熱意に打たれ、徐々に葉っぱビジネスに賛同していった。
彼は何年もかけて地道に販路を開拓するとともに、お年寄りを京都の有名な料亭に連れて行ったり、料理人を招いて葉っぱがどのように使われているのかという講習会を開いたり、町の人に葉っぱの価値を知らしめていった。関心が高くなることで出荷農家も急増した。そしていまでは、町を代表する産業になった。
横石氏に、もし葉っぱビジネスがなかったら町はどうなっていただろう、と聞いてみた。彼はいう「町はなくなっていたでしょうね」と。
1枚の青もみじの葉っぱが、町を救ったのだ。
仕事という生きがいを与えることこそが本当の福祉
上勝町のおばあちゃんは、少しでも成果を上げようと、寸暇を惜しんで仕事をしている。口々に出るのは「世界中探したって、こんな楽しい仕事ないでよ」という言葉。横石氏はいう、「介護施設を充実させることももちろん大事な福祉。だけど、高齢者には手助けやお金ではなく、“出番”を与えてあげることが本当の福祉だと思います。仕事という生きがいを――」と。
彼が“産業福祉”と呼んでいる福祉は、高齢者が仕事をもつことによって、介護、教育、環境といった問題を段階的に解決していく福祉だ。営農指導員としてやってきた26年前の、補助金に頼ることばかり考えている弱い町が、産業のチカラで強い町になった。町の魅力に惹きつけられた若者たちが“出番”を求めIターン、Uターンし、町が活気づいてきた。過疎、後継者問題の解決もそう遠くはないだろう。
80歳を過ぎてなお、もみじの種を播く、あるおばあちゃん。いったい何歳まで働くつもり、いや、生きるつもりなのだろう……!? 「これは私の夢を播っきょんじゃぁ」、生きているうちに収穫できないかもしれない、でも後継者への夢を託して、今日も元気に働いている。
自分の“出番”があるかぎり、おばあちゃんたちの笑顔は咲き続ける。