成功経営者インタビュー

株式会社ハイブリッドテクノロジーズ 代表取締役社長 チャン・バン・ミン氏 インタビュー

コーナーで掲載する経営者インタビューは、Podcast「社長に聞く!in WizBiz」で配信中の経営者インタビューを編集しています。今回、ご紹介する経営者は、チャン・バン・ミン氏(株式会社ハイブリッドテクノロジーズ 代表取締役社長)です。(2022年3月8日 2022年3月15日 配信)

今回は、株式会社ハイブリッドテクノロジーズのチャン・バン・ミン社長にお越し頂きました。

日本とベトナムのリソースを融合させ、ビジネスとテクノロジーの両方の側面から顧客のDXを推進されています。コロナウイルス感染拡大による売上減少にも屈せず、業績をV字回復させ、ベトナム人経営者で初となる東京証券取引所マザーズ市場(現・グロース)への上場を果たされました。現在ベトナムは、世界のIT企業から注目を集め、かつての日本の高度経済成長を思わせる勢いで発展を遂げています。戦後日本の経済成長を支えた実業家に習い、熱量を持って突き進まれるエピソードから、経営のヒントが得られます。ぜひインタビューをお読みください。

新谷哲:今回の経営者インタビューは、株式会社ハイブリッドテクノロジーズのチャン・バン・ミン社長です。まずは経歴の紹介です。1986年ベトナム生まれ。1994年に初来日し、大学まで日本で過ごされます。ベトナム国家大学ハノイ校卒業後、ベトナムにて就職。その後、日系企業現地法人の代表、ベトナム情報通信大手の日本法人代表を経て、2016年に株式会社EVA(現・株式会社ハイブリッドテクノロジーズ)を創業されました。2021年に東証マザーズに上場をされています。本日はよろしくお願いします。

チャン・バン・ミン:よろしくお願いします。

新谷哲:最初の質問です。小学校時代はどのようにお過ごしでしたか?

チャン・バン・ミン:運動が好きな少年でした。

新谷哲:活発な少年だったのですね!中学校時代はどのようにお過ごしでしたか?

チャン・バン・ミン:中学生の頃は陰キャラでした。受験競争のプレッシャーから外で遊ぶことが怖くなり、次第に家にいることが多くなっていきました。一方で、コンピューターに興味を持つようになり、HTMLやCSSの勉強をしたり、パソコンの組み立てをしたり、インドアな趣味を楽しんでいました。

新谷哲:高校時代はどのようにお過ごしでしたか?

チャン・バン・ミン:「在日ベトナム学生青年協会(VYSA)」で活動をするようになりました。ベトナム大使館後援の、在日ベトナム人の学生が中心となり社会活動を行っている組織です。私は当時も一貫して陰キャラでしたが、フェスの司会を務めるなど、本当にいろいろな経験をさせて頂きました。それまでは日本人の友達しかいませんでしたが、VYSAの交流イベントを通してたくさんのベトナム人と繋がりを作ることができ、ベトナム文化への理解を深めていきました。また、このとき留学生だった妻とも出会い、とても感化されたのを覚えています。

新谷哲:大学時代はどのようにお過ごしでしたか?

チャン・バン・ミン:日本とベトナム両方の大学に通いました。最終的にハノイ国家大学を卒業し、ベトナムで就職活動を始めました。

新谷哲:日本ではなく、ベトナムでの就職を選んだ理由はございますか?

チャン・バン・ミン:妻と結婚しベトナムに帰国したからです。実は、当時の私はあまりベトナム語が上手では無かったですし、カルチャーショックを受けることも多く、日系企業に入社を決めました。とはいえ、もともとベトナム人ですから(笑)すぐにハノイの交通量にも慣れ、順応することができました。

新谷哲: 2012年には日系企業現地法人代表にご就任されました。これは早いご出世ですね!

チャン・バン・ミン:一般採用ですが重用していただき、おかげさまでステップアップすることができました。

新谷哲:その後、2014年にベトナム情報通信大手の日本法人代表にご就任されました。こちらは引き抜きですか?

チャン・バン・ミン:はい。日本に留学していたメンバーの繋がりで、ベトナム情報通信大手グループの創業メンバーからお声がけをいただき入社をしました。私は「ベトナム語より日本語ができるベトナム人」として有名だったみたいです(笑)。

新谷哲:ベトナムから日本へ戻られたのですか?

チャン・バン・ミン:本社とのやりとりが多かったので、行ったり来たりしていました。両親の仕事関係で来日して以来、日本とベトナムの往来をしていますが、ベトナムに15年、日本に20年ほどと、実は日本に住んでいる期間の方が長いのです。

新谷哲:その後、2016年に株式会社EVA(現・株式会社ハイブリッドテクノロジーズ)を創業されました。独立されたきっかけはございますか?

チャン・バン・ミン:僅かながら経営に携わらせていただいた経験から、起業することに興味を持つようになりました。そんな折に、当時勢いがあることで知られていた株式会社エボラブルアジア(現・株式会社エアトリ)のベトナム法人代表を務めていた薛 悠司(ソル・ユサ)氏に「一緒に何かやらないか?」とお声がけを頂いたのです。そうして、一緒に株式会社EVAを立ち上げたという背景です。

新谷哲:株式会社EVAと、株式会社ハイブリッドテクノロジーズの事業内容は同じですか?

チャン・バン・ミン:一部継承をしています。株式会社EVAでは、受託ビジネスを展開し順調に事業をグロースさせていきました。すると、株式会社エボラブルアジアのベトナム法人を事業譲渡していただく話を頂き、ストックビジネスとフロービジネスの両方を継承することになりました。株式会社ハイブリッドテクノロジーズでは、引き継いだ事業で現在の売上90%を占めています。

新谷哲:なるほど。創業時から上場をお考えでしたか?

チャン・バン・ミン:3年前に、上場を目指すと意思決定をしました。株式会社エアトリの取締役会長である大石崇徳氏や、取締役CGOの吉村英毅氏、ソル・ユサ氏からは、「上場したら景色が変わる」とお話を伺っていました。そんなこともあり「上場したら楽しいのでは!」と、希望が膨らんでいきました。上場実績のある諸先輩方の知見やノウハウを近くで頂けたので、安心して上場を目指すことができました。

新谷哲:上場するまでのご苦労はございますか?

チャン・バン・ミン:本当に苦労ばかりでした。当初は万事順調だったものの、コロナの影響が直撃し初めての赤字経営に陥りました。ジリ貧になってしまう恐れから「上場はあきらめたほうがいいのではないか…」と考えてしまうほどでした。しかし「絶対にあきらめない」と心に誓い、スケジュール通り上場まで行けるようただただ粘りました。従業員にはすごい迷惑をかけましたし、コロナの影響を受けても契約をキープしてくださったお客様方には感謝をしきれません。痛みを分かち合うよう切磋琢磨し合うことで、無事に業績をV字回復させ計画していた3年後に上場をすることができました。上場セレモニーで鐘を鳴らすときも、実感がわかないほど全力投球の日々でしたが、結果オーライです。

新谷哲:時期的にも大変な思いをされましたね…。

チャン・バン・ミン:眠れないといったらウソですけど、苦しくて、2年間は安眠できなかったですね…。上場審査に辿り着くまでの間には、経営幹部を含め従業員は100人以上退職をしました。私は根拠のない自信がありましたが、みんな、不安なのです。それを「どう伝えれば理解し同じ方向に向かっていただけるのか?」と、とても悩みました。いくつも失敗をしてきましたが、組織の安定を示すことができて良かったです。

新谷哲:ありがとうございます。もしよろしければ、株式会社ハイブリッドテクノロジーズの事業内容をお教えいただけますか?

チャン・バン・ミン:弊社は、日本の労働人口の減少に伴う、IT人材不足・デジタルトランスフォーメーション(DX)推進遅延などの課題解決に向け、ベトナムの優秀なエンジニアを組織し日本企業様のDX推進をお手伝いさせて頂いております。主に提供しているサービスは、「ラボ(ストック)型開発」と「受託(フロー)型開発」の2つです。売上の9割を占めているラボ型開発では、オフショア(海外委託)で発生する煩わしさをできるだけ排除するため、日本だけで開発が完結できるような体制を整えていることが特徴です。具体的には、日本人プロジェクトマネージャーや、私のように日本語が喋れるベトナム人を日本に配置し、彼らがハブとなりお客様の想像しているものを開発できるよう、きめ細かいコミュニケーションを取りプロジェクト進行をしていきます。また、ベトナムは文化・伝統・経済・安全保障を含め、さまざまな面で日本との親和性が高い国です。そんなベトナムの若く優秀なリソースを使っているので、必然的にコストパフォーマンスも高くなっております。弊社の場合は「コストが安い」という打ち出しはしていませんが、いちDX推進企業として更なる貢献ができるよう、日々邁進しております。

新谷哲:ありがとうございます。ここからは違う質問をさせていただきます。好きなもの、好きなことで「ゴルフ、マインドフルネス、全般的に好きなものが多いです。」とお答えいただきました。全般的とは、ずいぶん広いですね(笑)!

チャン・バン・ミン:陰キャラだった過去の反動か、「新しいことをいろいろとやっていきたい」という好奇心が強く、好きなものが多いのかもしれません。それは事業にもフルに活かされています。弊社ビジョンである「New view with you(新しい景色を見る)」のもと、誰も見たこともないような景色を実現させ、自身で体感していきたいのです。結果、私はベトナム人初の東証マザーズ上場という景色を見ることができました。周りの方々にも、「感動を覚えるような景色を見せてあげたい、一緒に見たい」という思いで経営をしています。

新谷哲:すばらしいお話です。マインドフルネスなども事業に活かされているのですか?

チャン・バン・ミン:はい。私は弱い人間ですが、上場準備や赤字経営などからくるプレッシャーを乗り越えられたのはマインドフルネスのおかげです。上手くいかないことがあっても、目をつぶり息に集中すると気持ちが安定しますよ。心の安らぎが得られるので、ぜひやってみてください。

新谷哲:座右の銘もお聞きして「今日必死にやるより、明日にまたトライする」とお答えいただきました。こちらを選ばれた理由はございますか?

チャン・バン・ミン:これは、アンジェラ・ダックワース著の『やり抜く力 GRIT(グリット)――人生のあらゆる成功を決める「究極の能力」を身につける』に書かれていた一文です。必死にやることは良い事ですが、それをずっと続けることはできませんよね。失敗すること、上手くいかないことの方が多いので、あきらめずに次の日、また次の日とトライアルするために、この言葉を大切にしています。私には、この考えが合っていたのだと感じます。

新谷哲:ありがとうございます。次が最後のご質問です。全国の経営者、これから起業する方に向け、経営者として成功する秘訣をお教えください。

チャン・バン・ミン: 私の人生は失敗続きで、とても人にアドバイスができるような人間ではありません。だからこそ、昇華し続けるためにも多くの本を読むようにしています。日本には、戦後の焼け野原から世界第2位の経済大国へと登りつめることに貢献した、素晴らしい経営者が大勢います。私は、その中でもパナソニックの創設者である松下幸之助さんが好きで、全ての本を読ませていただきました。幸之助さんは「人」を大切にすることで、事業を成功されています。私もその教えに習い「事業は人」と捉え、経営を行うようにしています。何をやるかよりも誰とやるかにこだわっているので、最も力を入れているのは採用です。弊社の場合、「リファラル採用」を強く打ち出しており、知り合い伝いにご紹介をいただき、本気で面談し、理解に努め、仲間として迎え入れています。その仲間たちの力添えがあったおかげで、私はラッキーパンチを繰り出すことができたのです。

新谷哲:大変参考になるお話でした!チャン・バン・ミン社長、本日はありがとうございました。

チャン・バン・ミン:ありがとうございました。

編集後記

今回は、チャン・バン・ミン社長でした。ベトナム人で初めて東証マザーズ(現・グロース)へ上場をされた経営者様です。松下幸之助がお好きというエピソードなど、日本人より日本にお詳しいですね!謙虚で勉強熱心な姿勢が素晴らしいです。ぜひ皆様も参考に、共に成功社長を目指していきましょう!

チャン・バン・ミン氏
株式会社ハイブリッドテクノロジーズ 代表取締役社長

1986年ベトナム生まれ。1994年に初来日し、大学まで日本で過ごされます。ベトナム国家大学ハノイ校卒業後、ベトナムにて就職。その後、日系企業現地法人の代表、ベトナム情報通信大手の日本法人代表を経て、2016年に株式会社EVA(現・株式会社ハイブリッドテクノロジーズ)を創業されました。日本とベトナムの豊富な経験を活かしたシームレスなシステム開発手法により、スピーディーかつ高品質な開発の実現により事業を成長させ、2021年にベトナム人経営者として初となる、東京証券取引所上場を果たされました。「New view with you」というビジョンのもと、日本国内のDX化や企業様のグロースに邁進されています。

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本インタビューは、Podcast「社長に聞く!in WizBiz」で配信中の経営者インタビューを編集したものです。文中に登場する社名、肩書、数字情報などは、原則、収録当時のものですので、予めご了承ください。
今回は、チャン・バン・ミン氏(株式会社ハイブリッドテクノロジーズ 代表取締役社長)の経営者インタビューを取り上げました。

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