成功経営者インタビュー

株式会社ティムコ 代表取締役社長 酒井誠一氏 インタビュー

本コーナーで掲載する経営者インタビューは、Podcast「社長に聞く!in WizBiz」で配信中の経営者インタビューを編集しています。今回、ご紹介する経営者は、酒井誠一氏(株式会社ティムコ代表取締役社長)です。(2022年6月22日 2022年6月29日 配信)

今回は、株式会社ティムコの酒井誠一社長にお越し頂きました。
国内フライフィッシングのパイオニアとして、フィッシング ・アウトドア関連用品の企画開発、輸出入、製造及び販売を行い、東証スタンダード市場へ上場をする企業の社長です。
父親が仲間と立ち上げた会社を若くして引継ぎ経営者となった酒井氏。
後継社長として同社の事業を成長に導かれたエピソードから、経営のヒントが得られます。ぜひ、インタビューをお読みください。

新谷哲:今回の経営者インタビューは、株式会社ティムコの酒井誠一社長です。まずは経歴のご紹介です。1968年生まれ。明治学院大学経済学部卒業後、1991年に富士ゼロックス株式会社(現・富士フイルムビジネスイノベーション株式会社)へご入社をされます。その後、1992年に株式会社ティムコへ移り、取締役社長室長を経て2011年に代表取締役社長へとご就任。1996年には、日本証券業協会に店頭登録 (現・東京証券取引所スタンダード市場上場) をされています。本日はよろしくお願いいたします。

酒井誠一:よろしくお願いします。

新谷哲:最初の質問です。ご出身はどちらですか?

酒井誠一:東京都新宿区です。祖父は埼玉県出身だったのですが、東京へと移り住んだと聞いています。

新谷哲:小学校時代はどのようにお過ごしでしたか?

酒井誠一:今思うと、少しませた子供でした。かけっこが得意でリレーのアンカーを務めたり、スキーを始めて親と一緒によく滑りに行ったりしていました。また、高学年の頃にはギターを始めました。それに相まって、髪の毛が少し茶色かったこともあり「カッコつけてる」などと先輩に目をつけられることもありましたね。一方で、工作好きが高じてプラモデル作りに熱中をするなどの一面もありました。

新谷哲:中学校時代はどのようにお過ごしでしたか?

酒井誠一:音楽に打ち込んでいました。中学時代はずっと、Casiopea(カシオペア)というフュージョンバンドのベーシストである鳴瀬喜博さんから音楽を教わっていて、ベースを中心に活動していました。プロのすごい方だと知らなくて、あとから「こんなに有名な方に教わっていたのか!」とたいへん驚きました。ストイックに練習に励んでおり、テクニカルなスラップ奏法を習得したのですが、フュージョンという音楽ジャンルをプレイする仲間が少なかったため、所属していたバンドではOzzy Osbourne(オジー・オズボーン)など流行っていたロックをよく演奏していました。この頃は、若気の至りといいますか「将来はプロのベーシストになりたい」と、音楽をやっている人が皆通る無邪気な発想をしていましたね。

新谷哲:素晴らしいですね!高校時代はどのようにお過ごしでしたか?

酒井誠一:明治学院高等学校に進学をしました。中学時代あまり勉強をしてこなかったので、進路面談では「受けるだけなら誰でもできます」とチクリと言われましたが、中学3年から進学塾に通い始め、運よく合格することができました。同校は経営者のご子息も多く、わりと自由な校風でした。そのためか個性的な生徒が多く、当時の友人たちは現在、ラーメン評論家、映像クリエイター、ミュージャン、二代目経営者など、あらゆる方面で活躍をしています。帰宅部で部活には所属していませんでしたが、とても仲間に恵まれて良い時代を過ごせたと思います。また、成績上位者は論文提出と面接をすれば、無試験で大学に進学することができました。私は、高校受験の時に一発勝負は苦手だと学んだので、経済や経営について学ぶため確実に経済学部に入れるよう、非常に勉強を頑張っていました。

新谷哲:予定通り明治学院大学経済学部へと進学をされていますので、成績優秀だったのですね!大学時代は、どのようにお過ごしでしたか?

酒井誠一:大学時代は、やりたい音楽ができるサークルが見つからなかったので、スキーサークルに入りました。ここではデモスキーと言って、デモンストレーターとして滑走技術を競うスポーツをしていました。トレーニングを週に何回もするような体育会系サークルで、思い描いていた青春とは少し違いましたが、とても良い経験だったと感じています。

新谷哲:大学卒業後は、富士ゼロックス株式会社(現・富士フイルムビジネスイノベーション株式会社)にご入社されました。こちらを選ばれた理由はございますか?

酒井誠一:人材活用に長けた会社という印象を受けたからです。当時の就職求人市場は、新卒売り手市場だったので非常に恵まれていて、就職活動はうまくいっておりました。その中でも特に、学生の我々にも分かるほど同社の人事の方が優秀だったのが入社する決め手となりました。

新谷哲:当時の思い出はございますか?

酒井誠一:富士ゼロックス株式会社入社後は、Off-JT(日常の業務から離れて行う座学の集合研修)で6ヶ月間の研修を行いました。研修事業も展開していたので自社での実験を兼ねていた側面もございますが、とても研修に時間とお金をかける会社でした。内容としては、コピー機の営業など一通りのことを学んだ後、それぞれの専攻へと振り分けられます。私は、システムやネットワークを扱う部署へ配属されました。自由な社風で自主性を育てるプログラムが多く、とても勉強になりましたし、長い研修期間により、同期とは現在にも繋がる良い関係を築くことができました。

新谷哲:約2年後には、株式会社ティムコへと入社をされます。移られた経緯をお話し頂けますか?

酒井誠一:株式会社ティムコは、私の父を含めた3名で創業をした会社でして、上場準備に入るにあたり「途中で逃げない人間」を確保する必要があり、私に目を付けたようです。それまで父は、私に経営者としての適性があるか分かりませんし、期待をしてしまっても困るという理由からか、あえて家業を継ぐ話はしてきませんでした。初めてそのような話を持ち掛けられ「協力できることがあるならば、一緒にやっていこう」と思い入社を決めたという経緯です。

新谷哲:1996年には、日本証券業協会に店頭登録 (現・東京証券取引所スタンダード市場上場) をされていますね。当時の思い出はございますか?

酒井誠一:入社後、上場準備に関わる社長室が立ち上げられたのですが、登用されたメンバーは入社したばかりの私と、ほぼ新卒の素人ばかりでした。しかし、メンバーは皆優秀でしたし、証券会社や証券コンサルタントの方々からも多くのことを学ぶことができました。上場準備を経験したことにより、会社の内情を短期間で全て把握することができ、非常に助かりました。

新谷哲: 2011年には、代表取締役社長にご就任されています。当初から社長になるご予定だったのですか?

酒井誠一:はい。具体的な話は聞いていませんでしたが、その前提で計画が進んでいたと思います。創業者3名のうち1人は上場後すぐに退社され、私の父である酒井貞彦と霜田俊憲さんが順に社長となられ、数年後に私が会社を引き継ぐことになりました。それまで社長室長として細かく業務にあたっていたので、社長の仕事とはどういうものなのか把握した上で事業を引き継げたことは、非常に恵まれていたといえます。

新谷哲:後継社長としてのご苦労はございましたか?

酒井誠一:計画的に事業承継が進められたので、あまり苦労はありませんでした。スムーズに社長交代ができた理由の一つ目は、父が会社の体制をしっかり固めてくれたことが大きいです。会社を引き継ぐ際には、番頭がいうことを聞いてくれない、働きもしない前任の親族へ給料を払わなければいけないなど、企業ごとにお悩みがあるかと思います。私の場合は若くして社長になり、役員や中核をなすマネージャー陣は私より年上でしたが、父がしっかりと仕組みを作ってくれたおかげで大きなトラブルは全くありませんでした。二つ目は、二代目経営者の会への参加です。若造がいきなり社長に就いたとして、社員たちがすんなり認めてくれる訳ではありません。口で「社長」と言っても、言葉の端々にそういう雰囲気が漂っているのです。しかし、二代目経営者の会で同志のいろいろな事例を聞けたことにより、見識が深まりました。そのため、腹を立て衝突するようなことも無く「自分が逆の立場だとしても、そう思うのは当たり前だ」と寛容でいられましたね。

新谷哲:ありがとうございます。もしよろしければ、株式会社ティムコの事業内容をお教えいただけますか?

酒井誠一:弊社は、1969年に貿易業としてスタートした会社です。現在では、釣具・アウトドア用品の企画、輸入、販売をメイン事業として行っています。創業当時(昭和40年代)の日本は週休1日と、ものすごく働きづめな状況でした。一方アメリカでは、非常に経済レベルが高く、皆趣味を満喫していたそうです。このような背景から、父は「日本もいずれこうなる」と考え、余暇を楽しむための事業を始め、フィッシング事業・アウトドア事業の2つを柱として展開するようになりました。フィッシング事業では、創業時から日本で盛んだった釣りに目を付け、欧米のルアーフィッシングとフライフィッシング道具を仕入れたことが功を成し、会社は順調に成長していきました。そこからアウトドア事業として、Foxfire(フォックスファイヤー)というアウトドア衣料を始めとしたオリジナルブランドの提供も開始します。これは、アメリカ企業では身売りが多く、オーナー交代と共に契約が無効になってしまうというリスクがあった為、そこを回避するためオリジナルブランドの展開をしました。結果、アウトドア事業が全体売上の65%を占めるところまで成長をしています。

新谷哲:近年は、アウトドアブームで「ソロキャン」などの言葉も生まれていますね。コロナ禍ということも追い風になっているのでしょうか?

酒井誠一:アウトドア用品を扱っていても、一概に順調とは言い切れません。特に、登山関連の製品売上は大きく落ちこみました。というのも、コロナ禍では山小屋や登山道が密になるという理由から、自粛傾向が強まったからです。さらに、百貨店での出店が多いので、かなりダメージを受けました。一方、釣りは「密にならないアクティビティ」と注目を集め売上を伸ばしているので、登山関連の落ち込みをカバーすることができています。

新谷哲:ありがとうございます。ここからは違う質問をさせていただきます。好きなもの、好きなことをお聞きして、「楽器・インテリア・雑貨・自動車及びホイール、掃除用品・フィールドで過ごすこと・楽器演奏(ベース)・スキー・ドライブ等」と多岐にお答えいただきました。掃除用品という回答が珍しく注目したのですが、なぜお好きなのですか?

酒井誠一:掃除用品が好きと言うよりも、綺麗な状態にしておくことが好きと言う方が正しいかもしれません。特に、車の掃除にはこだわりを持っていて、副業にできるのではないかと思うほどです。いかに手間をかけずに綺麗にするか合理性を追及しケミカル用品を選んでいる時間が、とても楽しいです(笑)

新谷哲:座右の銘もお聞きして「人間万事塞翁が馬」と「Make a difference(違いをもたらす)」とお答えいただきました。これらを選ばれた理由はございますか?

酒井誠一:1つ目の「人間万事塞翁が馬」は、自身の生き方に近いところがあると思い選ばせて頂きました。この言葉は、人生における幸不幸は予測しがたいため、安易に喜んだり悲しんだりするべきではないという意味のことわざです。私は、絶えず精神を平常に保とうというつもりは無いのですが、順調な時であっても何が起こるか分からないので舞い上がりませんし、逆に悪いことが起きてもまた良いことが起きなんとかなるだろうと考えています。この、安定していられるという点が、仕事でも活かされていると感じます。2つ目の「Make a difference(違いをもたらす)」は、事業展開をする上で大切にしている言葉です。“different”は翻訳すると“違う・異なる”という意味を持ちます。日本では、出る杭は打たれるというたとえがあるように、人と違うことをして目立つことを避ける傾向がありますよね。そのためdifferentは否定的なニュアンスとして捉えられがちなのですが、実は、海外ではポジティブ用語として使われることが多いのです。他との違いにより差別化を図ることはとても良いことですし、その様にしていかないと面白くないだろうと思っています。

新谷哲:ありがとうございます。次が最後のご質問です。全国の経営者、これから起業する方に向け、経営者として成功する秘訣をお教えください。

酒井誠一:非常に月並みではありますが「謙虚であり、驕らないこと」が重要だと感じています。良いことがあれば、自分が偉くなったように感じ驕りが出てきてしまいます。意識をしたとしても、この様な慢心はどうしても生まれてしまうものですから、そうならないためにも感謝の心を大切にしています。

新谷哲:大変参考になるお話でした!酒井誠一社長、本日はありがとうございました。

酒井誠一:こちらこそありがとうございました。

編集後記

今回は、酒井誠一社長でした。上場準備から事業に携わり、引き継がれた上場企業を着実に牽引されていて素晴らしいですね。また、たいへん謙虚で、理路整然とした話し方をされているのが印象的でした。この姿勢こそ、二代目経営者としても、上場企業経営者としても成功をされている理由なのだなと実感しました。ぜひ皆様も参考に、共に成功社長を目指していきましょう!

酒井誠一氏
株式会社ティムコ 代表取締役社長

1968年7月11日生まれ、東京都育ち。明治学院大学 経済学部卒業後、1991年に富士ゼロックス株式会社(現・富士フイルムビジネスイノベーション株式会社)へ入社。その後、父親である酒井貞彦氏が創業し、フィッシング用品、アウトドア用品の企画開発・販売・輸出入を手掛ける株式会社ティムコへ1992年11月に移籍されました。社長室長として上場準備に携わり、1996年6月に日本証券業協会に店頭登録 (現・東京証券取引所スタンダード市場上場) 。その後社内の様々な業務に携わった後、2011年2月、株式会社ティムコの代表取締役社長にご就任され、事業を牽引し続けています。なお、2021年11月には株式会社スノーピーク他2社と合弁会社である株式会社キャンバーズ・アンド・アングラーズを立ち上げ、同社の取締役にもご就任されています。

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本インタビューは、Podcast「社長に聞く!in WizBiz」で配信中の経営者インタビューを編集したものです。文中に登場する社名、肩書、数字情報などは、原則、収録当時のものですので、予めご了承ください。
今回は、酒井 誠一氏(株式会社ティムコ 代表取締役社長)の経営者インタビューを取り上げました。

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