本コーナーで掲載する経営者インタビューは、Podcast「社長に聞く!in WizBiz」で配信中の経営者インタビューを編集しています。今回、ご紹介する経営者は、眞邉勝仁氏(リニューアブル・ジャパン株式会社 代表取締役社長)です。(2022年11月9日 2022年11月16日 配信)
今回は、リニューアブル・ジャパン株式会社の眞邉 勝仁社長にお越し頂きました。
再生可能エネルギー事業を展開する、東証グロース市場上場企業の社長様です。
特定事業から生み出されるキャッシュ・フローを返済原資とし、担保も対象事業の資産などに限定する「プロジェクトファイナンス(証券化)」という手法を用いて、再生可能エネルギーの普及を加速させた眞邉氏。事業拡大を目指されている方は必見です!経営のヒントが得られますので、ぜひ、インタビューをお読みください。
新谷哲:今回の経営者インタビューは、リニューアブル・ジャパン株式会社の眞邉勝仁社長です。まずは経歴のご紹介です。1990年マサチューセッツ州立大学 経営学部を卒業後、リーマン・ブラザーズ、バークレイズ証券などの外資系金融機関で証券化業務に携わられます。その後、米運用会社のザイス・ジャパン代表取締役にご就任。そして、2012年リニューアブル・ジャパン株式会社を設立し代表取締役社長にご就任。2021年には、東京証券取引所マザーズ(現・グロース)市場へ上場をされています。本日はよろしくお願いします。
眞邉勝仁:よろしくお願いいたします。
新谷哲:最初のご質問です。ご出身はどちらですか?
眞邉勝仁:東京都です。
新谷哲:小学校時代はどのようにお過ごしでしたか?
眞邉勝仁:両親が鹿児島県の屋久島出身だったこともあり、よく近隣の山に連れて行ってもらいました。夏には、クワガタ採りや川魚釣りをして飯盒炊飯をしたり、冬になるとセリや山芋を探したり、たくさん自然に触れて過ごした記憶があります。
新谷哲:中学校時代はどのようにお過ごしでしたか?
眞邉勝仁:中高一貫の進学校に進学をしました。しかし、勉強ばかりさせられて「入るところを間違えてしまった!」と感じていました…(笑)。
新谷哲:その後、国内の大学を経て、マサチューセッツ州立大学 経営学部へと進学をされます。こちらを選ばれたきっかけはございますか?
眞邉勝仁:就職をしたくなくて、留学をすることにしました。もともと私は長男なので、本来であれば家業の鰹節屋を継ぐ必要がありました。しかし、それを裏切ってアメリカに渡ったので、後を継いでくれた弟には頭が上がりません。
新谷哲:当時の思い出はございますか?
眞邉勝仁:アパート・図書館・クラスの往復といった、日本人留学生の典型的な生活を送っていました。当時は、マサチューセッツを卒業したら、ハーバードのようなアメリカを代表する一流大学院へと進み、いい就職先で2年間ほど勤め、また大学に戻るという目標を抱いていました。そのためには、トップ2%~3%の成績に入る必要があるので、毎日ひたすら勉強をしましたね。
新谷哲:大学卒業後は、リーマン・ブラザーズへと進まれます。こちらを選ばれたきっかけはございますか?
眞邉勝仁:カフェテリアで出会った方のアドバイスがきっかけでした。私は、友達を作ろうとカフェテリアにいた外国から来た留学生の方に「横に座ってもいいですか?」と話しかけました。そして、一緒にランチを食べながら「私は日本から来ました。何を勉強するか決めてないのだけど、何がいいかな?」と聞いたら「これからの時代は、コンピューターか金融のどちらかがいいのでは?」と言われたのです。さっそく、その2つの講義を受講し、向いていると感じた金融業界を目指すことにしました。アメリカの教科書は日本と違い、大手金融機関の社名がずらりと記載されていて、その中でリーマン・ブラザーズを選びました。
新谷哲:リーマン・ブラザーズでの思い出はございますか?
眞邉勝仁:14年間お世話になったので、たくさんの思い出があります。新卒社員の中で最も早く幹部に昇格し、日本では「ミスターリーマン!」とかっこいい通り名で呼んでくれる人が多くいました。今は潰れてしまった会社ですが、私はリーマン・ブラザーズを故郷だと感じますし、何より愛していました。しかし、ポリティクス(政治)に巻き込まれ、このまま組織にいても社会貢献ができないとの思いから、退職することを決めました。いい就職と言うのは、「日本のGDP向上に貢献できているかどうかだ」と考えているからです。
新谷哲:その後、バークレイズ・キャピタル(現・バークレイズ証券)に転職をされています。当時の思い出はございますか?
眞邉勝仁:バークレイズ・キャピタルでは、世界のダイナミズムを目の当たりにしました。イギリスのロンドンに本拠を置く国際金融グループで、凄く優秀な方が多かったです。私は、営業責任者として移籍をしたのですが、アジア開発銀行の総会通訳やアレンジメントなども担当し、あらゆる金融機関トップの方にお会いさせて頂くなど、今までにない仕事を経験しました。
新谷哲:下世話なご質問ですが、アメリカンドリームのように、転職で給料はどんどんと上がっていったのでしょうか?
眞邉勝仁:私は、お金の為に転職したわけではありませんが、確かに給料は上がりました。とはいえ、証券業界には「ask/bit(アスクビット)」といって、売値と買値の概念があります。これは、金融商品に関わらず人にも当てはめられて、自から会社を出ていく人は低い給料となり、来ていただく場合は高い給料となります。ただ、基本的には相場があるので平均から2割程度の差に留まります。なので、上手くいけば高い値段で売ることはできますが、効果は短期的なため、いかにマーケットでの自分の価値を上げていくかが大切です。能力が認められ、プロ野球選手くらいのお給料をもらっている人は結構いますよ。
新谷哲:やはり、アメリカンドリームを掴むためには努力が欠かせないということですね!その後、運用会社のザイス・ジャパンの代表取締役社長にご就任をされます。経緯をお話頂けますか?
眞邉勝仁:バークレイズ・キャピタル時代、かなり早い段階からマネジメントのポジションに就かせて頂いていました。40歳手前にして現場からは遠ざかり、ガラス部屋の中にあるデスクに座り、入れ替わり立ち代わり来る部下達の相談に乗っていきます。これを「5分以内に解決できるのがよい上司である」と自由が無いほど処理に追われて、次第に仕事への面白味が感じられなくなっていました。さらに当時は、金融危機が始まりそうな予兆がありました。ボラティリティー(資産価格変動の激しさ)があるということは、必ずいつかは上がるのでマイナスばかりではありません。しかし、私が経験したビジネスサイクルの中では2度目の出来事だったので、何か対策を打たねばと感じていました。ちょうどそんな時、私はザイス・グループのヘッドに「貴社のファンドを売らせてほしい」と交渉をしていました。すると、「眞邉さんが弊社に来てくれるのなら、日本オフィスを作りますよ」と予想外のお返事を頂き、ザイス・グループへと移ることを決めました。
新谷哲:なるほど。ザイス・ジャパンでの思い出はございますか?
新谷哲:ここでは、4年間ほど代表取締役社長を務めたのですが、経営者としての未熟さが露呈し、無力さを痛感したことが印象深いです。私はそれまで、一生懸命に努力をすればほとんどのビジネスは上手くいくと考えていました。しかし、リーマンショックが起きたことにより、その考えは打ち砕かれてしまいます。ザイス・グループでは、当時に一番嫌われていたであろう、アセットクラス(投資対象となる商品)の証券化商品を主に扱っていました。世界的に市況が落ち込んでいる状況で証券化商品を買う人は稀で、業界ではどの企業も敗戦処理に追われていました。そんな中でも、経営者として新たなビジネスを作り、業績を上げていかなければいけません。しかし、マーケットの流れにのまれ、期待だけではどうにもならずもどかしい思いをしました。また、日本オフィス開設のお知らせを出す際に、案内状リストの氏名と住所がズレてしまっていて、誤ったお手紙を全体に送付するなど、失敗の連続でした。ですが、支店を一から立ち上げ、ライセンスの作成や、今までしたことが無い一般事務業務を経験できたことは、とても良かったです。失敗が糧となり、今に繋がったのだと感じます。
新谷哲:ありがとうございます。その後、2012年にリニューアブル・ジャパン株式会社を設立されます。きっかけはございますか?
眞邉勝仁:2011年3月11日に発生した、東日本大震災がきっかけです。その日CNNでは、日本のテレビ局では流さないような、ショッキングな映像を包み隠さず放送していました。次の日、そのニュースを見たアメリカのビジネスパートナーから「浄水器をプレゼントしたい」と連絡が入りました。話を聞くとその浄水器は、太陽光をエネルギー源に、海水や沼などでも浄化して飲み水にすることができる優れた機械で、スマトラ島沖大地震やルイジアナ州の大洪水でも大活躍をしたようです。被災地では、飲み水がなくて困っているという話も聞いていたので、さっそく日本赤十字社に電話をし「素晴らしい浄水器があるので、ぜひ受け取ってください」と伝えました。しかし、「募金以外の援助物資は各自で輸送ください」と言われてしまったので、自分で届けに行くことにしました。この浄水器は、縦横5メートルほどで重量もあったので、受け入れを希望する自治体にお届けできるまでには、多くの方にお手伝いをして頂きました。そして、震災から40日後に、浄水器をお送りした自治体へご挨拶に伺いました。東京から向かう道中は、高速道路の地割れからはじまり、信号機のない交差点、瓦礫の山、メルトダウンの影響でガタガタと音がする道、海に埋もれたまま全壊している町など、目を疑うような、恐ろしい光景が広がっていました。そして、「東北復興のために何ができるのだろう?」と、必死に考え続けていました。
新谷哲:本当に、大変な出来事でした…。
眞邉勝仁:はい。ただ、現地に到着するまでたっぷり考える時間があったので、「プロジェクトファイナンス(証券化)という手法を用いて、復興のお手伝いができるのではないか?」と、思いつきました。復興のためには、まず何よりもお金が必要です。私は今までの経験から、魅力的なプロジェクトを発足し運用商品化すれば、資金が潤沢にある金融界からうまく調達ができるとふみました。そして、肝心のプロジェクトは再生可能エネルギー関連事業に定めました。その理由は、浄水器を被災地に送り届ける中で、再生可能エネルギーの可能性を強く感じ、世間の関心が高まり機運が向いている事も実感したからです。私にできることはこれしかないと、東京に戻り試算をしたところ、まだFIT(再生可能エネルギーを買い取る制度)がスタートしていなかった頃ですが、現実に回る見通しが立ちました。こうして、太陽光発電所を作り上げ、金融に結びつけるというビジネスモデルを目指し、動き始めました。
新谷哲:長年、証券化事業に携わってきたご経験が、リニューアブル・ジャパンのビジネスモデルに繋がったのですね!
眞邉勝仁:とはいえ、事業を軌道に乗せるには、決して順調な道のりではありませんでした。当初この事業は、ザイス・グループの再生可能エネルギー部署の一環として行っていて、浄水器の輸送資金も提供してくれるほど協力的でした。しかし、リーマンショックから会社が復活し始めたことで、本社のマネジメントが変わり新しいボスに交代したところ、立場が一転します。彼は、本社の再生可能エネルギー部署を潰し、その後来日し「眞邉さん、太陽光を辞めマーケティングに戻るか、会社を辞めるかどちらかにしてくれ」と、告げてきたのです。私は、外資系証券会社で優秀な人達に囲まれ、役職にもつかせて頂き、不足ない生活を送ってきました。しかし、実際に被災地に伺ったことで、彼らを救いたいという気持ちと同時に、お金では測れないものの価値に気づき「自分の人生を変えたい」とも感じていました。そのため、この事業は自分で成功させるべきだという結論に至り、妻にも黙ってリニューアブル・ジャパン株式会社を設立したという経緯です。
新谷哲:後で知った奥様は、大丈夫でしたか?
眞邉勝仁:しばらく口を聞いてくれませんでしたが、大丈夫です(笑)。
新谷哲:創業時の思い出はございますか?
眞邉勝仁:創業から 4年間は、風が吹けば飛んでしまうような、いつ潰れてもおかしくない会社でした。特に事業柄、国・電力会社・大手資本の他にも、有象無象とした人達が活発に参入をしてきました。そのため、規制が強化されていき、外部要因が厳しくなっていきます。しかし、「生き残りさえすれば、規制はむしろプラスになるだろう!」とアクセルを踏みました。すると、いろいろなモノが飛んでくるわけです。自分では、コントロールできない問題も多く、辛くなることもありましたが、なんとか障壁を乗り越えていきました。
新谷哲:参入障壁を乗り越えられた秘訣はございますか?
眞邉勝仁:「諦めない事の大切さ」 に気づけたことです。当時、一緒にやっていた会長は「明けない夜はない」と、何度も励ましてくださいました。しかし、解決しきれない問題を抱えたまま、家族の寝静まった時間に家路につく毎日を送っていました。そんな中、ある日ふとテレビのチャンネルを変えると、“メジャー”と言うアニメがやっていました。その日から、主人公の茂野吾郎君の頑張りを見ながら少しお酒を飲み、「よし、俺も頑張るぞ!」と寝つきにつく習慣が付きました。また、“下町ロケット”からも勇気をもらいました。ストーリーは、大企業に翻弄され倒産の危機に陥り、家族からも見放され、まるで私と同じ状況でした。しかし、どんなに悲惨であっても、最後にはハッピーエンドにたどり着くわけです。事業をされている方々は、誰も口に出しては言わないけれど、きっと色々な課題を抱えているのだと思います。それでも、壁を乗り越えるため弛まぬ努力をされているのでしょうね。
新谷哲:なるほど。2021年には、東京証券取引所マザーズ(現・グロース)市場へ上場をされています。当初より上場をお考えでしたか?
眞邉勝仁:当初は、マネーゲームに参加したくなかったので、上場はしないと決めていました。しかし結局は、資金調達が必要となり出口戦略としてモデルを切り替えました。弊社は、資本金1億円からのスタートです。一方で、同時期に創業をしたジャパン・リニューアブル・エナジー株式会社は、資本金100億円からのスタートです。デベロッパーにとって1億円は、一瞬で無くなってしまう微々たる金額で、当然、資本では負けてしまいます。それを見越して、案件を証券化させ投資家から資金調達を行う予定でしたが、その資金すら不足してしまい、うまく進めることができず機関投資家の方々に協力をお願いしました。
新谷哲:上場に向けてのご苦労はございましたか?
眞邉勝仁:新しいビジネスならではの、苦労が多かったと思います。パブリックカンパニーとして求められるレベルのガバナンスや、社内体制を整えるのはもちろんですが、再生可能エネルギー事業は新業態だったので、東京証券取引所でもあらゆる面で線引きが整っていない状況でした。例えば、FIT(再生可能エネルギーを買い取る制度)が低くなっても事業運営ができるのか?などのご質問もありました。FITの価格評価は、経済産業省の意向によって変更される可能性があります。そのため、FITだけではないビジネスも運営できるレベルまで持っていきご理解を得られるようデザインしていきました。
新谷哲:ありがとうございます。それでは、リニューアブル・ジャパン株式会社の事業内容をお教えいただけますか?
眞邉勝仁:弊社は、再生可能エネルギー事業を通じて、脱炭素社会の実現に向け活動をしています。特徴としては、開発と金融を一体にしている点です。具体的には、太陽光発電・風力発電・水力発電等の立地選定、事業計画策定、許認可取得や発電所建設工事の管理監督などを含めた開発を行い、作り上げたものを金融商品にしています。それを、機関投資家に持っていただき、保安管理や諸手続きなどの運営を行っています。また最近では、海外の発電所を買い付けるなど、事業を拡大している所です。そして、リニューアブル・ジャパンとは別で、一般社団法人・再生可能エネルギー長期安定電源推進協会という業界団体の初代会長も先日まで務めていて、ENEOS・東京ガス・東芝エネルギーシステム・オリックス・東急不動産などのコアメンバーの他、約90社の再生可能エネルギー事業を運営する企業様と共に、活動をしています。ここでは、再エネ賦課金による国民負担を減らした“Non−FIT”を実現し、再生可能エネルギーをさらに普及させていこうと、経産省と議論を重ねています。
新谷哲:会社設立から11年で成し遂げられたとは思えない、大きなビジネスを展開されていると感じます。
眞邉勝仁:事業内容だけ聞くと、少し難しく感じられるかもしれませんが、仕組みは明快です。既に、海外の再生可能エネルギーデベロッパーでは成功しているビジネスモデルで、他業種で言えば、株式会社星野リゾートでも採用している手法です。星野リゾートでは、銀行や機関投資家から出資を受け、旅館・ホテルを開発します。それを金融商品にして、私募・公募しリート(不動産投資信託)として、第三者に所有して頂いています。さらに、オペレーターとしてきちんと運営をし顧客を獲得しているので、安心の金融商品として所有を希望するファンが多くいます。そのようなブランドを作り上げることができれば、事業はいくらでも拡大できるのです。
新谷哲:とても勉強になります。ここからは違う質問をさせていただきます。好きなもの、好きなことをお聞きして「猫・トライアスロン」とお答えいただきました。愛猫家なのですね!
眞邉勝仁:猫の、気まぐれなところがいいですね。家内はB型で、猫と同じく自由奔放なところが好きです。今日は、深夜の3時に起こされて辛かったですけど…(笑)。
新谷哲:座右の銘もお聞きして「一念通天」とお答えいただきました。こちらを選ばれた理由を教えていただけますか?
眞邉勝仁:「強い信念をもち努力を続ければ、必ず目標は成し遂げられる」と信じているからです。そのためにも、有言実行を常に心がけています。特に、大きな組織を動かしていくには、リーダーとして「どのような会社・ビジネスにしていきたいか?」という信念を、伝え続ける必要があります。しかし、努力をしていても上手く行くことばかりではありませんよね。そんな時は、どうしても小手先のテクニックに頼りたくなりがちですが、それで難局を乗り越えることは難しいと経験から学んできました。目標を成し遂げるためには、多くの方々からのサポートを頂く必要があるからこそ、良いこともそうでないことも、きちんとメッセージとして発信し、信頼を得ていくことが必要です。これは、私のビジネスの根幹を支える最も大切なことです。
新谷哲:次が最後のご質問です。全国の経営者、これから起業する方に向け、経営者として成功する秘訣をお教えください。
眞邉勝仁:私が成功していると言えるかどうかは分かりませんが、「諦めないこと」が重要だと感じます。最近、再生可能エネルギーの将来について、良く意見を求められますが、正直、Non−FITを実現するというのは困難が伴います。ただ、FITが40円だった時代を考えると、今10円で事業ができることは信じられないわけです。諦めずに活動を続けることで、きっとカーボン・ニュートラルな未来が訪れると信じています。
新谷哲:大変参考になるお話でした!眞邉勝仁社長、本日はありがとうございました。
眞邉勝仁:ありがとうございました。
編集後記
今回は、眞邉勝仁社長でした。外資の金融業界で揉まれてきただけあり、ご経験に裏打ちされた自信が印象的な素晴らしい社長様でした。そんな聡明な方であっても、「諦めない」と繰り返し仰っていましたね。ぜひ皆様も参考に、共に成功社長を目指していきましょう!
眞邉勝仁氏
リニューアブル・ジャパン株式会社 代表取締役社長CEO
東京都出身。1990年12月マサチューセッツ州立大学 経営学部卒業後、リーマン・ブラザーズ証券株式会社、バークレイズ・キャピタル証券株式会社(現・バークレイズ証券株式会社)などの外資系金融機関で証券化事業に携わられます。その後、米運用会社であるザイス・ジャパン株式会社の代表取締役社長にご就任。そして東日本大震災が発生した際に、太陽光をエネルギー源とする浄水設備を届けに現地を訪れたことをきっかけに、2012 年1月リニューアブル・ジャパン株式会社を設立し代表取締役社長にご就任されました。太陽光発電、風力発電、水力発電など再生可能エネルギー発電所の開発、発電、運営・管理等を展開し、2021年12月には本邦初のグリーンIPOとして東京証券取引所 マザーズ市場(現・グロース市場)上場を果たされました。金融業界で培ったノウハウを活かした再生可能エネルギーの普及活動により、脱炭素社会の実現に向け邁進されています。
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本インタビューは、Podcast「社長に聞く!in WizBiz」で配信中の経営者インタビューを編集したものです。文中に登場する社名、肩書、数字情報などは、原則、収録当時のものですので、予めご了承ください。
今回は、内山 英俊氏(株式会社unerry 代表取締役CEO)の経営者インタビューを取り上げました。
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