成功経営者インタビュー

Atlas Technologies株式会社 代表取締役社長 山本浩司氏 インタビュー

本コーナーで掲載する経営者インタビューは、Podcast「社長に聞く!in WizBiz」で配信中の経営者インタビューを編集しています。今回、ご紹介する経営者は、山本浩司氏(Atlas Technologies株式会社 代表取締役社長)です。(2023年2月1日 2023年2月8日 配信)

今回は、Atlas Technologies株式会社の山本 浩司社長にお越し頂きました。イーロン・マスク氏の"ある言葉"をきっかけにFintech業界へ参入し、創業から僅か4年で会社を上場にまで導かれた山本氏。今後、伸びていく産業の特徴とは!?経営のヒントが得られますので、ぜひ、インタビューをお聞きください。

新谷哲:今回の経営者インタビューは、Atlas Technologies株式会社代表取締役社長、山本浩司様です。まずは経歴のご紹介です。2005年、株式会社ユーキュレート(現・株式会社イプシロンプレミアムマーケティング)にご入社。2008年、有人宇宙システム株式会社にご入社。2011年、独立行政法人宇宙航空研究開発機構出向。2014年ソフトバンク・ペイメント・サービス株式会社(現SBペイメントサービス株式会社)株式会社にご入社。2018年にAtlas Technologiesを設立され代表取締役にご就任。2022年には東証グロース市場に上場された社長です。本日はよろしくお願いいたします。

山本浩司:よろしくお願いいたします。

新谷哲:最初の質問です。ご出身はどちらですか?

山本浩司:出身は北陸の福井県福井市です。

新谷哲:小学校時代はどのようにお過ごしになられましたか?

山本浩司:小学校時代は、田舎を駆け回る野生児でした。18歳までほとんど勉強することもなく、部活動や遊び、学校生活を楽しみました。

新谷哲:中学時代はどのようにお過ごしになられましたか?

山本浩司:小学校から中学校にかけて、本当に田舎で育ちました。中学校のクラスは2クラス56人で、小学校時代と同じメンバーでした。あまり勉強せず、部活動ではハンドボールをしていましたが、ただボールを投げたり、かけっこしたりするだけで、何も特別なことはなく、ごく普通の中学生でした。

新谷哲:高校も福井県内ですか?

山本浩司:福井県内の公立高校、藤島高校を卒業しました。この高校は文武両道を重視しており、卒業生の中にはアパホテルの元谷社長や、バレーボールの中垣内選手やサラダ記念日の俵万智さんなど、多様な方々がいます。また、高校からは離れますが、サイバーエージェントの藤田社長も福井県出身です。彼のインタビューを読むと、福井県に対する印象が私と全く同じでした。地方出身者として、外の世界を知りたいと思う気持ちには共感します。これは地方出身者の特徴かもしれませんね。

新谷哲:高校時代はどのようにお過ごしになられましたか?

山本浩司:高校時代も引き続き、ハンドボールや水泳をしたり、文化祭や体育祭などのイベントに参加して楽しみました。イベント志向の高校生活を送っていたので、勉強にあまり力を入れることはなかったです。

新谷哲:大学はどちらにお進みになりましたか?

山本浩司:慶応義塾大学の経済学部に進学をしています。

新谷哲:勉強に力を入れなくても、慶応義塾大学は入れるものなのですか?

山本浩司:その時は、瞬間最大風速的に受験勉強は頑張りました。短期集中型で突破できたのかもしれないですね(笑)。

新谷哲:慶応義塾大学を選ばれた理由はございますか?

山本浩司:慶応義塾大学を選んだ理由は、将来のキャリアにつながる可能性があると感じたからです。18歳の時、文系か理系かという選択があり、どの大学のどの学部に進学するかを考えました。その時にテレビで見た「宇宙開発特集」が私に大きなインスピレーションを与え、将来的に宇宙&起業ということを目指すきっかけになりました。しかし、福井の片田舎でビジネスアプローチによって宇宙開発に携わるには、理系では競争相手が多いと思い、経済・ビジネスで宇宙開発に携わりたいと思いました。また、東京などの情報が集まる環境に身を置き、経済に関連する有名な大学に進学したいと思ったため、慶応義塾大学経済学部に進学しました。

新谷哲:ありがとうございます。慶応義塾大学時代はどんなことをして過ごしてましたか?

山本浩司:普通の学生とあまり変わらない生活を送っていました。ただ、私が関わっていた活動の一つとして、宇宙に関する活動があります。当時、現在のJAXA宇宙航空研究開発機構は前身の宇宙開発事業団NASDAでした。私はサマースクールの研修に参加したり、学生を国際会議に派遣するプログラムに応募し、アメリカのヒューストンNASAで行われた国際会議に学生として参加する機会を得ました。そこで、土井宇宙飛行士や野口宇宙飛行士といった著名人と会ったり、世界各国の学生やプロフェッショナルと様々なコミュニティで活動する機会を得ました。また、私は島田晴雄先生のゼミに所属し、小泉内閣の内閣府特命顧問などを歴任した先生から多くの著名人に関する話を聞く機会を得ました。さらに、当時インターンが流行り始めた時期であり、私も多くの企業でインターンを経験し、社会人になったらこういう仕事をするのだという疑似体験をしました。あとは、30カ国ぐらいをバックパックをして旅をしていました。

新谷哲:色々な体験をされていたのですね。慶応義塾大学卒業後はユーキュレートに就職されていますが、どのような会社なのですか?

山本浩司:ユーキュレートは、ダイナースクラブやJCBなどのカード会社に対してマーケティングや、カード会員向けの優待プログラムなどを提供するスタートアップ企業でした。最初はインターンとして入社し、その後に正式な社員として働きました。大学の3年生や4年生の頃には、三井住友銀行やゴールドマン・サックス、リクルートなど、様々な企業でインターンを経験しました。そして、ユーキュレートの社長が大学の先輩であることもあり、宇宙&起業という分野で経営者として身近に体験してみたいと思い、その会社でインターンをして、そのまま就職しました。

新谷哲:大企業ではなく、スタートアップ企業を選ばれた理由はありますか?

山本浩司:大企業を選ばなかった理由は、自分が大企業で働く適性がないかもしれないという考えがあり、将来的に宇宙&起業という分野で起業したいという夢があったためです。そこで、自分にとって企業での体験が非常に貴重であると考え、最初の仕事として臨場感を持って体験できる企業に就職することを決めました。

新谷哲:ユーキュレートでの思い出はありますか?

山本浩司:やはり、日々大変なことが起こります。それは、事業を営んでいく上での課題や、お客様との関係性などです。また、人数が非常に少ない場合は、1人が複数の役割をこなす必要があります。そして、お金や人員など、様々な問題が発生することもあります。このように多忙な状況で、小さな会社がどのように成長していくのか、あるいはどのような問題に直面しているのかを感じることができます。私が学生から社会人になった時、小さな会社での経験が、一番大きな思い出になりました。

新谷哲:ありがとうございます。その後、有人宇宙システム株式会社に入社されていますが、転職された経緯を教えてください。

山本浩司:もともと、有人宇宙システム株式会社は、日本で唯一有人宇宙開発に関わる企業です。新卒で入社し、3年後には宇宙&起業の部分で次にトライするために転職を決意しました。そして、有人宇宙システムに移り、宇宙をビジネスとして経験することが始まりました。

新谷哲:有人宇宙システムでの思い出はありますか?

山本浩司:たくさんあります。まず、当時の私がこの会社で取り組んだことを時系列で説明します。最初のプロジェクトは、約14年前に立ち上がった、日本人宇宙飛行士候補者選抜試験でした。このプロジェクトはJAXAのもので、有人宇宙システムはJAXAを支援する形で宇宙飛行士の募集と選抜を担当しました。これは「宇宙兄弟」という漫画や、当時のNHKスペシャルなどの大きなイベントとしても知られています。このプロジェクトが終わり、無事に3人の宇宙飛行士が選ばれた後は、私は管制官フライトコントローラーとして、管制官プランナーというポジションで働いていました。この仕事は、スペースシャトルや国際宇宙ステーションの管制官プランナーを筑波の管制室ミッションコントロールルームで担当し、24時間365日の3シフト勤務で、地球を見ながらの仕事でした。また、最後には産業連携施策という仕事も経験し、宇宙とその他の産業を融合することを担当しました。この仕事は、一部はJAXAの中に出向してJAXAの人間として行いましたが、大きくは宇宙のビジネスに携わったことになります。

新谷哲:その後はソフトバンクペイメントサービスに転職をされます。宇宙分野から転職をした理由はございますか?

山本浩司: 30歳を迎えた私は「30代をどう過ごそうか」を考えていました。宇宙開発の現場で10年近く、宇宙&起業を模索していましたが挫折をします。当時やりたかったのは宇宙開発の商業化でした。今では、イーロン・マスクのスペースエックスやジェフ・ベゾスのブルーオリジン、国内でもディープテックという文脈で宇宙開発の資金調達のニュースを見ることができます。しかし当時は、同じことを言っても聞いてもらえず、個人資産が100億円ぐらいないと立ち上げができませんでした。そのため、現時点で宇宙&起業は難しいとピボットすることにしました。その後、Fintech&起業でソフトバンクグループという場を選びました。なぜFintechで、なぜソフトバンクを選んだかというと、10年以上耐えられるテーマに挑みたいと思ったからです。Fintechは国内だけでなくグローバルにも今年度のトピックになっています。これはまさに、10年以上チャレンジする価値のあるテーマだと思いました。そして、Fintechの中でも特に興味を持ったのが、ペイメント決済でした。2012年に、ソフトバンクのグループ会社がビザとマスターカードのライセンスを取得し、決済代行ビジネスから更にカード会社のような形でビジネスをしていく記事を拝見しました。ペイメント決済は、国内外で伸び盛りであり、自分が挑戦したいと思えるテーマでした。

新谷哲:ソフトバンクペイメントサービスでの思い出はありますか?

山本浩司:ソフトバンクでも多くの思い出があります。ソフトバンクは、Fintech事業の立ち上げにおいて、グループ内でFintech事業を主導する存在です。私自身も、事業企画の一員として、加盟店事業、カード発行事業、決済代行事業、送金事業など、様々なビジネスに関わり、多くの経験を積みました。また、ビザ、マスターカード、中国のブランドであるユニオンペイや銀聯、日本のブランドであるJCBなどの国際ブランド企業とのやり取りもありました。2015年には、アップルペイが日本上陸し、PayPal、グーグル、アマゾンなど、多くのグローバルプレーヤーと競合しながら事業を展開する機会もありました。これらの経験は、私にとって非常に思い出深いものとなっています。

新谷哲:その後、Atlas Technologiesを創業されるのですか?

山本浩司:はい、その通りです。2017年12月末までソフトバンクで働いていましたが、翌年1月に退職し、次の月からAtlas Technologiesを起業しました。ただし、この起業は全くかっこいい話ではありません。ソフトバンクから払い下げてもらった中古のパソコン(1万5,000円)と、家族から50万円を借りて、2つの資産だけを持って、Fintechのコンサルティング会社であるAtlas Technologiesを1人で立ち上げました。

新谷哲:創業しようと思ったきっかけは何かありますか?

山本浩司:「37歳までに起業しよう」と18歳の時に決めていました。36歳の誕生日を迎えた翌日に、上司に辞表を提出して実際に辞めることを伝えました。

新谷哲:家族や上司など、起業することに反対はありませんでしたか?

山本浩司:周囲からは不思議と反対はありませんでした。まず、家族から申し上げると、私には妻と2人の娘がいます。現在では、娘たちは中学校に通っていますが、5年前は小学生でした。子供たちからは「パパ、がんばってね」という声があり、妻からは、自分自身も働いていることや、以前から私がビジネスをやりたいと言っていたことを考慮して、「やってみたらどうだろう」という形で応援してもらいました。家族の反応としては、いわゆる嫁ブロックというものを経験することなく、起業をすることができました(笑)。実際に、私の上司や同僚、関係者の方々にも、起業すると伝えたところ、とても応援していただけたと感じました。そのため、私が感じたリアクションとしては、反対されたり非難を受けたわけではなく、皆から「がんばってやってみなよ」というエールをもらえたということです。私にとって、家族や周囲の人々のサポートは、起業するための大きな支えとなりました。

新谷哲:創業当初より、上場を目指されたのですか?

山本浩司:とても良い質問ですね。2018年1月に創業した当時、50万円の資本金と中古のパソコン1台、そして1人だけの会社でした。1年目は、この会社を存続させることが最優先であり、常に1人で事業を運営しなければならなかったため、非常に大変でした。しかし、その後、大きなクライアントからの直接契約を得ることができ、事業が急激に発展しました。1年目の目標は、会社を存続させることと、家族を養っていくことでした。2年目に入り、私自身を含めた組織としてどのように成長していきたいかを考え始め、IPOに向けた準備を始めることに決めました。IPOに向けた準備を始めたのは、創業から1年半が経った2019年の夏頃でした。

新谷哲:上場に向けての苦労はありましたか?

山本浩司:上場に向けてはやはり一つひとつ進めていく必要がありましたね。わからないことがあった場合は、2つの主要な課題に取り組みました。まず、事業を確実に拡大し、上場後も外接性のある事業成長を関係者の方々に示していくというところ。そして、もう1つは、コーポレート機能の整備に力を注いで、組織として安定的な事業運営ができるようにすることでした。バランスを取り、リスク管理を徹底することも重要でしたし、特にコーポレートの整備や構築に苦労しました。

新谷哲: AtlasTechnologiesの事業内容についてご説明をお願いします。

山本浩司:Atlas Technologiesは、2018年1月に創業した比較的若い企業で、現在は5期目を迎えています。当社は独立系のFintechコンサルティング会社として、国内および海外のクライアント企業に対してFintech領域のコンサルティングおよびプロジェクト実行支援サービスを提供しています。現在、東京とシンガポールにオフィスを持ち、事業活動を展開しています。

新谷哲:次は普段質問しないことをお聞きします。将来はやはり、宇宙に関わる仕事をしたいと思いますか?

山本浩司:そうですね。まずは、Atlas Technologiesのビジネスに専心しています。ただ、私は1981年生まれで、厄年を迎えているため、プロフェッショナルとして残された時間を考えると、宇宙開発に自分も何か貢献できたらという思いがあります。ただ、まずはAtlas Technologiesの代表としての成長が最優先であり、現時点ではこれが私の回答だと思っています。

新谷哲:ここからは全く違う質問をいたします。好きなものや好きなで「美術館や旅行」とお答えいただきました。国立近代美術館で行われた、ゲルハルト・リヒターの展示を見られたそうですが、絵画がお好きなのですか?

山本浩司:絵画に限定することなく、あらゆる表現手法のアート作品が大好きです。ただ、元々好きだったかというと、そうではありません。妻の影響が大きいです。妻が多摩美の油絵を卒業したことから、妻側の趣味だったアートについて、私も一緒に楽しむようになりました。実際に、私たちは品川にある原美術館で結婚式を挙げたこともありますが、これもそういった流れからですね。ただ、残念ながらその美術館は閉館してしまいました。

新谷哲:座右の銘もお聞きして、「金銭を失うこと。それはまた働いて貯えればよい。名誉を失うこと。名誉を挽回すれば世の人は見直してくれるであろう。勇気を失うこと。それはこの世に生まれてこなかった方がよかったであろう。」というゲーテの言葉を選ばれています。白い巨塔などで有名な山崎豊子さんも同じ座右の銘とのことですが、選ばれた理由を教えてください。

山本浩司:四字熟語のようにバシッと座右の銘をあげられたらかっこいいと思いますが、考えれば考えるほど、この言葉にはいつも救われているので選びました。この言葉にどう出会って、どのように座右の銘になったかという観点でお話をします。大学時代に、バックパックで色々な海外旅行をしていたという話をさせていただきました。その時に、ミステリーが好きというのもあって、山崎豊子さんの文庫本を読みながら旅をしていました。帰国後、彼女自身のインタビュー記事を読んでいくと、まさにこの言葉が語られていました。立場が違いますが、執筆活動をする上で非常に苦しい局面があるそうです。私は上場企業の代表です。創業してからも決して良いことばかりでなく、憂鬱なことの方が多かったです。創業当初はまったく資金がありませんでした。そのため、管理会計ソフトの更新や入金についての不安が常にありました。この不安は、経営者としてだけでなく、個人としても常にお金を失うことに対する恐怖として存在していました。しかし現在、経営している中で感じるのは、仮にお金を失っても、再び働いてお金を稼ぐことができるということです。また、経営者として、他の企業や個人との信頼関係の構築も重要だと感じています。信頼を失うことはお金を失うことよりも大変だと思いますが、真摯に向き合い、自社の価値を提供することで、再び信頼を取り戻すことができると信じています。ただし、勇気を失ってしまうと、それは失敗に直結すると思います。私たちは、限られた時間の中でより良い人生を送るために、常に変化し続ける勇気を持つことが必要だと考えています。これが座右の銘に選んだ理由です。

新谷哲:次が最後のご質問です。全国の経営者、これから起業する方に向け、経営者として成功する秘訣をお教えください。

山本浩司:成功の秘訣は、運に恵まれたことかもしれません。2022年、Atlas Technologiesは、東証のグロース市場に上場するという象徴的な出来事を迎えました。これは、過去3年間、または創業以来、組織体として準備をしてきた結果と思います。ただ、私の解釈としては、創業1年目には1人でビジネスを行っていたところから、組織として多くの人と関わりを持つようになり「支えている」という感覚に浸っていました。しかし、今年に入ってイベント等を迎えるにあたり、思考の転換があって「支えられている」ことを強く感じるようになりました。当社のメンバーやクライアント、協業先、取引先などからの信頼や支援により、ここまで来ることができました。また、嘘のない対応を心がけ、1つずつ誠実に対応してきたことも、運に恵まれる要因の一つだと思います。言い換えると、運に恵まれたというのは事実ですが、私たちは1人でビジネスを行っているわけではありません。多くの人々の支援があってこそ、今があると思います。ですので、これからも人々の支援を大切にし、誠実にビジネスを行っていくことが、運を味方にする重要な要素だと考えています。

新谷哲:山本浩司社長、本日はありがとうございました。

山本浩司:こちらこそ、ありがとうございました。

編集後記

新谷哲:今回は山本浩司社長でした。本当に頭が良い方であり、自頭が優れていることが伺えました。その優れた自頭の力が、多分運も引き寄せているのでしょう。さらに、謙虚な姿勢も持っており、自頭の優秀さと謙虚さを併せ持っていることが素晴らしく、これら全てを持っているなら、イーロン・マスクを抜いて、宇宙まで行けると思わせてくれるような素晴らしい社長であり、強く応援したいと思います。ぜひ皆様も参考にしてください!

山本浩司氏
Atlas Technologies株式会社 代表取締役社長

2005年4月、株式会社ユーキュレート(現株式会社イプシロン・プレミアム・マーケティング)入社。2008年2月、有人宇宙システム株式会社入社。2011年6月、独立行政法人宇宙航空研究開発機構出向。2014年4月、ソフトバンク・ペイメント・サービス株式会社(現SBペイメントサービス株式会社)入社。2018年1月、Atlas Technologies株式会社設立、代表取締役就任。

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本インタビューは、Podcast「社長に聞く!in WizBiz」で配信中の経営者インタビューを編集したものです。文中に登場する社名、肩書、数字情報などは、原則、収録当時のものですので、予めご了承ください。
今回は、山本浩司氏(Atlas Technologies株式会社代表取締役社長)の経営者インタビューを取り上げました。

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