成功経営者インタビュー

株式会社 コーチ・エィ 代表取締役 社長執行役員 鈴木 義幸 氏 インタビュー

本コーナーで掲載する経営者インタビューは、Podcast「社長に聞く!in WizBiz」で配信中の経営者インタビューを編集しています。今回、ご紹介する経営者は、鈴木義幸氏(株式会社コーチ・エィ 代表取締役社長)です。(2023年3月15日 2023年3月22日 配信)

今回は、株式会社コーチ・エィの鈴木義幸社長にお越し頂きました。日本の広告代理店を退職後、渡米。アメリカで学ばれた臨床心理学を活かすべくコーチング会社設立に参画し、その後上場に導いたお話から、経営のヒントが得られます。ぜひ、インタビューをお読みください。

新谷哲:本日の社長に聞く! in WizBizは、株式会社コーチ・エィの鈴木義幸社長です。まずは経歴のご紹介です。慶應義塾大学文学部卒業後、株式会社マッキャンエリクソン博報堂に勤務。その後渡米し、ミドルテネシー州立大学の大学院を修業され、帰国後の1997年にコーチ・トゥエンティワンの設立に参画。その後、株式会社コーチ・エィ設立と同時に取締役副社長にご就任され、2018年より現職、2022年には東証スタンダード市場に上場されました。鈴木義幸社長、よろしくお願いいたします。

鈴木義幸:よろしくお願いします。

新谷哲:最初のご質問です。ご出身はどちらですか?

鈴木義幸:静岡県の伊東市です。温泉街で、家のお風呂をひねると温泉が出るという環境でした。

新谷哲:羨ましい環境ですね。小学校時代はどのようにお過ごしになられましたか?

鈴木義幸:勉強ができるいわゆる優等生で、小学校1年生から学級委員長を務めました。スポーツも得意でしたが、小学校3年生の後半ぐらいから急に太り始め、足が遅くなりました。

新谷哲:今は太っていらっしゃらないですが、いつお痩せになったのですか?

鈴木義幸:中学生からです。地元を離れ、静岡市にある私立の男子校で寮生活を始めました。中学でラグビー部に入部し、1ヶ月で7キロも痩せました。現在の体型は、高校3年生から維持し続けています。

新谷哲:中学校時代は、どのようにお過ごしになられましたか?

鈴木義幸:ラグビー部に入って、静岡で優勝すると決めていました。中高一貫教育だったので、高校でもラグビーに力を注ぎました。朝から仲間と一緒に自主的に練習し、集まったりもしました。特に印象深いのが、監督がラグビー未経験者だったことです。私が中学1年生の時、監督は「高校3年生の時に絶対に優勝させる」と言い、部員をたくさん集めました。監督はラグビーを教える代わりに、有名なコーチや選手を連れてきました。それが私たちにとって大きな刺激になり、結果的にはラグビー未経験の監督が率いたチームが、高校3年生の時に静岡県で優勝を果たしました。この私の原体験が、人を育成することの大切さを教えてくれました。

新谷哲:では、すごくラグビーが上手なのですね。

鈴木義幸:一応、静岡県代表の候補に選ばれたことがあります。大学受験で慶應義塾大学に合格した時、静岡県の理事長から「慶應に行くなら推薦状を書いてやるから体育会に入れ」と言われました。当時、慶應義塾大学ラグビー部はトヨタ自動車に勝って日本一になったことで入部志願者が多く、その練習はアメリカ海軍や北朝鮮の特殊部隊に次いで厳しいと言われていました。私も練習を見に行ったのですが、選手たちが倒れても、頭の上から水をかけてもらうだけ、といった光景を見て「自分の青春がどうなってしまうのか」と疑問に思い入部することを諦めました。しかし、大学時代は同好会でラグビーをし、卒業後も社会人クラブでラグビーを続けました。結果的に12歳から42歳まで30年間ラグビーを楽しんできました。

新谷哲:慶應義塾大学を選ばれたのは、ラグビーがきっかけではあったのですか?

鈴木義幸:実は、劇団を作りたかったから選びました。当時、私は東京大学を目指していました。理科や社会は勉強する時間が足りなかったので、数学で満点を目指していたのですが、共通一次試験の数学で失敗し不合格になりました。失意の中、なんとか慶應義塾大学の文学部に入ることができました。実は当時演劇に興味があり、つかこうへい氏に憧れていました。自分で戯曲を書いて劇団を立ち上げて世の中に出ていきたいという夢があり、つかこうへい氏が慶應義塾大学文学部哲学科出身だったこともあり、文学部を選びました。

新谷哲:なぜ演劇に興味を持ったのですか?

鈴木義幸:きっかけは小学校4年生の時です。クラスで劇をやったとき、自分で考えた劇がとてもウケて「演じて人から賞賛されることが楽しい」と思いました。中学2年生ぐらいから、つかこうへい氏の戯曲やチェーホフの「桜の園」などを読み始めます。高校1年生の時には静岡から新宿まで出かけて、紀伊国屋ホールの文学座で杉村春子さんや高橋悦史さんたちの芝居を観たりして、演劇の世界に入っていくことを決めました。なので、大学ではラグビーをせずに演劇をしましたね。

新谷哲:大学では演劇部に入ったのですか?

鈴木義幸:演劇部に所属はしていません。演劇を趣味として、日本舞踊を習い始めました。私の父親が着物の染め職人で、着物を買われる方に知り合いがたくさんおり、紹介してもらって花柳流の日本舞踊を学びました。また、同じく日本舞踊を習っていた落語家さんとも仲良くなり、日本の伝統芸能にも興味を持ちましたね。

新谷哲:では、大学時代はラグビーと日本舞踊に力を入れたのですね。

鈴木義幸:そうです。他には、大学を1年間休学してアメリカに行きました。友人からアメリカ留学の話を聞いて、自分も留学したいと思いました。アメリカでもフランス人と一緒にラグビーチームを作ったり、国際交流イベントで浴衣を着て踊ったりして、自分にとってはラグビーと日本舞踊が大学生活のコアになっていました。

新谷哲:慶應義塾大学卒業後はマッキャンエリクソン博報堂に入られます。外資系の広告代理店ですが、こちらを選ばれた理由はございますか?

鈴木義幸:大学時代に、社会心理学に興味を持って学びました。社会心理学は「誰かが発したメッセージが世の中にどのような影響を与えるのか」を考える学問です。例えば「新しい製品をアフリカに持っていった際に、どのようにアナウンスして国に広めるか」を研究したりします。この分野に非常に興味を持ったので、広告代理店を希望しました。マッキャンエリクソン博報堂では当時、アメリカで2番目に大きかった広告代理店が51%株式を持っており、社長も外国人でした。

新谷哲:マッキャンエリクソン博報堂での思い出はありますか?

鈴木義幸:「媒体本部」という部署に配属されました。バブルの頃だったので、夕方には各民放局の営業の方々が本部にやってきて、宴会が始まるような日々でした。また、各局が広告代理店の社員を招待して接待をする、招待旅行などもありました。ある招待旅行では、屋形船で花火を見るといった楽しい企画もあり、今ではバブル期ならではの思い出として振り返っています。

新谷哲:バブルの頃、テレビ局全盛時代のエピソードですね。その後はテネシー州立大学の大学院に行かれますが、どのような経緯ですか?

鈴木義幸: 2年目ぐらいに、広告代理店業界から気持ちが離れてしまいました。当時は、ある商品を広告展開する際に、Aという雑誌とBという雑誌のどちらがより効果的かを顧客に提案するような仕事をしていました。しかし、人に影響を与えたいと思って選んだ仕事の中で、影響力をあまり与えられていないのではないか、と当時の自分は思うようになります。そこで、一対マスではなく一対一で人に影響を与える仕事に興味を持ち始めました。その頃、友人からアメリカの大学で日本語を教える代わりに、無料で大学院に行けるプログラムがあることを知りました。私もそのプログラムを受けることにして、テネシー州の大学院で臨床心理学を勉強する機会を得ました。

新谷哲:大学院時代の思い出とかはありますか?

鈴木義幸:臨床心理学を学び修士課程を修了するためには、どこかの施設で2年間のインターンを行う必要がありました。しかし、私は英語のネイティブスピーカーではないため、大学病院などには雇ってもらえませんでした。唯一、雇っていただいたのが、テネシー州立の女性刑務所です。女性刑務所では毎日、2人~3人のカウンセリングを行いました。ある時、配偶者の殺人の罪で収監されていた女性に話を聞くことになりました。犯行当時のことを尋ねてみると、犯罪を犯したのは今の自分とは別の人格だと説明するのです。後で調べたところ、彼女は20以上の人格を持つ多重人格障害を抱えていたことがわかりました。このような現実に直面して、精神科の仕事は重く難しいことを知りました。カウンセリングではない形で「自分のコミュニケーション技術を日本で活かしたい」と思うようになり、修士課程修了後に日本に帰国しました。

新谷哲:日本に戻ってコーチ・トゥエンティワンの設立に参画されていますが、どのような経緯で参画されたのですか?

鈴木義幸:アメリカに行く前から、創業者の伊藤守から「一緒に何かやろう」と言われていました。帰国後に彼と連絡を取ったところ、彼がアメリカで盛んになっていたコーチングに興味を持ち事業化することを知ったので、彼と一緒に日本でコーチングの事業を始めることになりました。

新谷哲:このお仕事での思い出はありますか?

鈴木義幸:当時アメリカにコーチ・ユニバーシティ(現在のコーチ・ユー)という会社がありました。優れたコーチング会社として知られており、こちらと提携をすることで1997年10月からコーチ・トゥエンティワンの事業をスタートしました。最初はBtoCのコーチングスクールとして開始し、この事業は現在までの25年間で約1万人の卒業生を輩出しています。スタートから2年後にBtoCだけではなく、法人向けビジネスを開始しました。しかし、私自身に法人営業の経験がなく顧客もゼロだったので、会社四季報を頼りに電話掛けをするような営業活動をしていました。最初は1つもアポを取れませんでしたが、毎日100件の電話をかけるうちに、1つ、2つのアポが取れるようになりました。最初のお客様を獲得するまでに半年かかりましたが、0から1にした経験は自信に繋がり、今でもその体験は私の根幹にあると思っています。

新谷哲:当時だとコーチングの先駆け的存在ですね!

鈴木義幸:そうですね。コーチングを日本語で提供する最初の専門会社でした。

新谷哲:コーチングという言葉も殆どの方が分からないと思いますが、苦労はございましたか?

鈴木義幸:コーチ・トゥエンティワンで働き始めた時、電話で「不動産ですか?」とか「バッグのコーチですか?」とか「高知県の会社ですか?」などとも言われました。コーチという言葉自体について理解してもらうのに時間がかかりましたね。

新谷哲:なるほど、ありがとうございます。その後株式会社コーチ・エィを設立されたということですが、経緯をお教えいただけますか?

鈴木義幸:法人向け事業が形になってきたため、BtoBの事業を分社化してコーチ・エィを2001年に設立しました。2011年までは、コーチ・トゥエンティワンとコーチ・エィが並走していました。やがて事業の効率化を図るため、2つの会社を統合して新しいコーチ・エィとして再出発を切ったのが2011年です。

新谷哲:上場は初めから狙っていたのですか?

鈴木義幸:1999年、当時のメンバーがファウンダーの伊藤も含めて合宿を行い「これからどうしていくか?」を話し合いました。その時に私は「将来はナスダックに上場するくらいになりたいですね」と答えたことを覚えています。当時はナスダックが何なのか、上場の意味は何かなどよく分からず、ただ上場企業は「社会に認められているカッコいい会社」というイメージでした。しかし、一度「上場」を口に出してからは、その思いが自分の中に残っており、2015年頃には本当に上場を目指そうと思いました。

新谷哲:上場に向けて苦労はございましたか?

鈴木義幸:非常に大変でした。比べることはできませんが、例えば創業間もないスタートアップ企業が上場を目指すよりも難易度が高かったと思います。何故かというと、20年にわたって培ってきた会社の仕組みややり方を、東京証券取引所の基準に合わせる必要があったからです。家を新築するのではなく、途中から大規模なリフォーム工事をするようなものでした。ガバナンスや内部統制など、基準に合わせてコンプライアンス面を整える作業は、私たちのコーポレートスタッフが非常に頑張った結果、達成することができました。

新谷哲:株式会社コーチ・エィ様の事業内容をお教えください。

鈴木義幸:弊社は、企業の経営陣の方々に対して一対一でコーチングを行うエグゼクティブ・コーチングという手法を起点として組織開発を行っております。組織開発を簡単に言うと、主体化した人を増やし、彼ら同士の連鎖を生み出すことです。主体化をシンプルに表現すると、モチベーションが非常に高く、能動的な状態を意味します。個人に人生の目的があるように、組織にも目的があります。この2つの目的が折り重なると、個人は会社に貢献し、会社の未来に力を注ぐことができます。そうして個人の組織における意味付けが明確になると、人は非常に強く主体化するようになり、主体化した人同士が対話を交わすことで、イノベーションが生まれます。私たちは、組織内で主体化した人を増やし、彼ら同士の対話を増やし、イノベーションを促進する支援をしています。しかし、このような取り組みは経営陣の賛同が必要です。そのため、私たちはまず経営陣にエグゼクティブ・コーチングを受けていただき、一緒に組織開発を進めていくことを目指しています。

新谷哲:次は全く違う質問をします。事前に好きなものや好きなことをお聞きしたところ、多数お答えいただきました。「空、紺色やスカイブルーの服や物、ワイン、ラグビー観戦、瞑想、懸垂、サウナ、ゴルフ、高いところから景色を見るなどなど」これらの趣味に演劇や日本舞踊が加わるかもしれませんが、特に興味深いのは、空が好きだということです。理由やきっかけなどはありますか?

鈴木義幸:7年前、家を建てる際に絶対に欲しいと思ったのが、屋上でした。理由は空を見るためです。屋上には椅子が置かれており、夏でも冬でも、暇があると空を見上げます。空を見ていると、心が静かになったり、いろいろな思いが巡り、考えが整理されたりすることがあります。私は空が好きで、自分の好きな色も、今日のネクタイも、スカイブルーや青・紺色のものが圧倒的に多いです。以前は、いろんな色のネクタイを試しましたが、年齢が上がってくると、自分の好きなものだけになってきました。プライベートで着る洋服も、ほとんどが空色や紺・青系です。

新谷哲:ありがとうございます。次に、座右の銘をお聞きしましたが「座右の銘がないことが座右の銘」という初めてのお答えがあり、どう聞けば良いか迷いました。多くの経営者が人生訓などをお持ちだと思われるので、この質問は必ず入れるようにしていましたが、座右の銘を持っていない人は、人生についてある種の受け入れ方をしているのだろうと思います。もしそういったお話があれば、お聞かせいただければ幸いです。

鈴木義幸:考え方を自由に変えられることが大切だと思います。例えば、「努力は嘘をつかない」という言葉を過剰に重要視しすぎると、努力してもうまくいかないことがあることを忘れてしまうかもしれません。「千里の道も一歩から」という言葉もありますが、時には一気に進むことも大切だと思います。つまり、自分が大切にしている視点の反対側からも事象を見ることが重要だと思っています。私はコーチという仕事をしてきて、この考え方を大切にしています。人は自分の成功体験を基に前提を持って行動するものですが、環境は常に変化しています。私たちの仕事は、経営者が持つ前提に問いかけて、新しい選択肢を持てるようにサポートすることです。これが、エグゼクティブ・コーチングの目的です。私自身も一つの考え方に固執しすぎないように心がけています。ですので、私の座右の銘は「座右の銘がないことが座右の銘」としていますね。

新谷哲:次が最後の質問になります。全国の経営者、これから起業する方に向け、経営者として成功する秘訣をお教えください。

鈴木義幸:先程の座右の銘の話ではないのですが、「こうしたら絶対うまくいく」という方法はありません。常に絶対はないということが正解だと思います。自分はこれまで仕事上いろいろな試行錯誤をしてきていますが、特に最近大切にしていることは、自分が得意ではないことは基本的に人に任せて、自分は得意なことに特化することです。不得意なことや苦手なことは社員に任せて、それを任せられる人を積極的に採用しています。そして、多くの人の知恵や力を集めて、会社を前進させていくことが重要だと思っています。これが、私の現在の経営スタイル・ポリシーですね。

新谷哲:大変勉強になる話でした!鈴木義幸社長、本日はどうもありがとうございました。

鈴木義幸:ありがとうございました。

編集後記

新谷哲:今回は鈴木義幸社長でした。アメリカ留学経験も多数ある方で、非常にビジネス感覚が素晴らしく、こういう社長が上場するのだろうとつくづく感じました。鈴木義幸社長が言っていたことで私が一番勉強になったのは、古い家の大リフォームをするというのと、新築で建てるのは新築の方がやりやすいという話でした。これは上場の視点から話されていましたが、起業しようと思っている方は上場するかどうかを最初に決めた方が良いかもしれません。皆さんも鈴木義幸社長を真似していただいて、上場を目指すなり、大きな企業を目指すなりしていきましょう!

鈴木義幸氏
株式会社 コーチ・エィ代表取締役 社長執行役員

慶應義塾大学文学部人間関係学科社会学専攻卒業。株式会社マッキャンエリクソン博報堂(現・株式会社マッキャンエリクソン)に勤務後、渡米。ミドルテネシー州立大学大学院臨床心理学専攻修士課程修了。帰国後、有限会社コーチ・トゥエンティワン(のち株式会社化)の設立に携わる。2001年、法人事業部の分社化による株式会社コーチ・エィ設立と同時に、取締役副社長に就任。2007年1月、取締役社長就任。2018年1月より現職。神戸大学大学院経営学研究科MBAコース『現代経営応用研究(コーチング)』において非常勤講師を務める。『新版 コーチングの基本』(日本実業出版社)、『未来を共創する経営チームをつくる』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)など著書多数。

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本インタビューは、Podcast「社長に聞く!in WizBiz」で配信中の経営者インタビューを編集したものです。文中に登場する社名、肩書、数字情報などは、原則、収録当時のものですので、予めご了承ください。
今回は、鈴木義幸氏(株式会社コーチ・エィ 代表取締役社長)の経営者インタビューを取り上げました。

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