本コーナーで掲載する経営者インタビューは、Podcast「社長に聞く!in WizBiz」で配信中の経営者インタビューを編集しています。今回、ご紹介する経営者は、久保努氏(株式会社ラキール 代表取締役社長)です。(2023年5月10日 2023年5月17日 配信)
今回は、株式会社ラキール の久保努社長にお越し頂きました。責任感の強さから、親会社からの独立を2回ご経験。経営不振から売却された会社を成長させ、上場させたエピソードから、経営のヒントが得られます。ぜひ、インタビューをお聞きください。
新谷哲:今回の経営者インタビューは、株式会社ラキール代表取締役社長、久保努様です。まずは経歴のご紹介です。1964年生まれ、1988年に株式会社エイ・エス・ティに入社。その後、株式会社イーシー・ワンで開発部門の責任者にご就任。2005年にはレジェンド・アプリケーションズを設立され、その後は株式会社ワークスアプリケーションズの傘下に入り、同社取締役にもご就任。そして2017年に、MBO(マネジメント・バイアウト)により独立をされ、2019年に社名を株式会社ラキールに変更して2021年7月に上場を果たしています。本日はよろしくお願いします。
久保努:よろしくお願いします。
新谷哲:最初のご質問です。ご出身はどちらですか?
久保努:広島県の呉市です。
新谷哲:呉冷麺が有名ですね!
久保努:そうですね!呉市の中でも出身は倉橋島という小さな島です。小学校から高校まで呉市の学校に通いました。
新谷哲:小学校時代はどのようにお過ごしになられましたか?
久保努:島の特性もあって、夏はほとんど海に行っていました。ただ、小学校3年生くらいからは野球ばかりしていました。
新谷哲:どのポジションでプレーをしたのですか?
久保努:いろいろなポジションを経験しました。最初に守ったのはセンターで、センターからセカンド、そしてサードへと移りました。
新谷哲:花形のポジションということは、上手だったのですか?
久保努:いやいや、そんなことはなくて普通だと思います。ただ、レギュラーメンバーには入っていましたよ。
新谷哲:中学校時代はどのようにお過ごしになられましたか?
久保努:中学校では野球部がなかったため、仕方なくバレーボール部に入部しました。校長先生がバレーボール好きで、野球部を作らせてくれませんでした。
バレーボールもエースではありませんが、一応、レギュラーメンバーでした。
新谷哲:高校時代はどのようにお過ごしになられましたか?
久保努:高校ではサッカー部に所属しました。進学校で勉強も頑張るはずでしたが、サッカーに夢中になり勉強が疎かになりました。
新谷哲:スポーツの幅広い経験があるのですね。いろんなスポーツに取り組むのは難しいと思いますので、やはり運動神経が優れているのですね。
久保努:スポーツは好きですが、「器用貧乏」という言葉があるように上手とは限りません。勉強に重きを置く学校だったので、スポーツのレベルは高くありませんでした。
新谷哲:卒業後は福岡工業大学に進まれますが、こちらを選ばれた理由はございますか?
久保努:いくつかの事情があり、本来は大学に進む予定はありませんでした。そのため高校卒業から1年間、大学受験はしていません。しかし、偶然にも福岡工業大学が広島で二次募集を行い、1つ下の従弟が受験することになりました。その時に願書を一緒に出そうと誘われ、合格しました。しかし従弟は不合格になってしまいます。1年間全く勉強をしなかったので、合格者の欄に自分の名前があることに目を疑いました(笑)。
新谷哲:なるほど。大学合格を機に、福岡に移住されたのですか?
久保努: 18歳か19歳の時に、福岡市の東区という地域に引っ越しました。
新谷哲:福岡での思い出はありますか?
久保努:アルバイトばかりしていました。ガソリンスタンド、ビアガーデンの厨房、ダクトクリーニングと、色々なアルバイトを経験しました。ダクトクリーニングは日当が良かったです。夜中に2時間働いて1万円程度をもらった記憶があります。
新谷哲:なぜ、色々なアルバイトをしたのですか?
久保努:車が欲しくて、お金を貯めて購入しました。マークⅡという中古の車を、140万円ぐらいで購入しました。維持費は決して安くないので、車を維持するために購入後もアルバイトを続けました。
新谷哲:大学卒業後は株式会社エイ・エス・ティに入社されます。どのような会社でしたか?
久保努:IT関連の会社で、日本IBM、三菱商事、コスモ・エイティという3つの法人が合同で立ち上げました。この会社の目的は、外国の企業が国内でネットワークの事業を展開できなかったため、その需要に応えることです。具体的には、IBMが以前提供していたNMS(ネットワーク管理システム)です。最初はネットワークを中心に事業展開する予定でしたが、私が入社した時点では既にソフトウェア開発の会社になっていました。私はエンジニアとして入社し、10年間働きました。
新谷哲:株式会社エイ・エス・ティでの思い出はありますか?
久保努:仕事でインドに1年半近く滞在したことですね。三菱商事の人事システムをダウンサイジングする案件です。オフショア開発という言葉があまり使われていない時代に、インドに行ってメインフレームからクライアントサーバーシステムへのダウンサイジングを行いました。
新谷哲:1年半もインドで生活をされたのですね。
久保努:行ったり来たりだったので、宿泊はホテル中心でした。休みの日にはホテルの近くにあったショッピングセンターに行くこともあり、そちらに入ろうとした際「プッシュ」と書かれたドアを誤って引っ張ってしまい、ガラスが「バン」と僕の右腕に落ちてきました。その結果、現地で14針縫うことになった事が一番の思い出です(笑)。
新谷哲:1ヶ月か1ヶ月半ぐらい入院とかされたのですか?
久保努:いえ、そのままホテルに帰ってその日は普通に寝ましたが、詳しくは覚えていません(笑)。大丈夫ではなかったと思いますが、我慢したと思います。
新谷哲:エイ・エス・ティ退職後は、株式会社イーシー・ワンに入社されますが、転職されたのですか?
久保努:三菱商事のOBが退職され、イーシー・ワンを設立するので創業メンバーとして参加しました。当時はインターネットが普及し始めた時代で、将来のインターネットの進展が予測できませんでした。また、Javaというプログラミング言語も登場しました。私自身もエイ・エス・ティでインターネットやJavaの活用を進めたいと考えていたのですが、IBMが親会社であることからなかなか思うようにはいきませんでした。そこでイーシー・ワンの創業に関わったという経緯です。
新谷哲:イーシー・ワンでの思い出はありますか?
久保努:イーシー・ワンでは、自分たちで会社の法律を作りながら、成長させました。私はナンバー3のポジションで、開発の責任者として働き、4年3ヶ月ほどでジャスダックに上場しました。当時、インターネットとJavaを業務アプリケーションに活用することは一般的でなく、日本で初めて実現したと自負しています。その意味では、全社員が仕事に対するモチベーションが高く、驚異的なスピードで会社は成長しました。自分たちが作りたい製品を開発していることもあり、非常にやりがいを感じることができました。
新谷哲:ナンバー3として上場に関わり、苦労などはございましたか?
久保努:実は上場するまでの1年間ほど、日本にいませんでした。当時、中国の市場に進出する議論をする中で、私が中国に行くことになりました。当時の中国は、今のように簡単に会社を設立することができませんでした。そのため、準備を含めて半年から1年かけて中国に子会社を設立しました。上場の日だけは「戻ってきていい」と言われたので、東証に行って式典には出席しましたが、またすぐに中国に戻りましたね。そこから北京、上海、大連の3か所に拠点を置きました。北京を本店として、大連と上海は支店。2年間で120人~130人の会社に成長しました。
新谷哲:凄いご経験ですね!
久保努:当時は「なぜこんなことをしているのだろう、帰りたい」とずっと思っていました。
新谷哲:その後、レジェンド・アプリケーションズを設立されます。独立をしようと思ったきっかけはございますか?
久保努:きっかけは、イーシー・ワンの経営不振です。上場して最初は順調でしたが途中で経営難に陥り、中国の子会社を売却することになりました。中国の子会社の社長は私でしたが、私だけがイーシー・ワンに残って、他のメンバーを売るという選択は難しかったです。そこで中国の子会社を買い取るため、母体となる会社を設立しました。創業メンバーは、私と一緒にイーシー・ワンから抜けた5人です。これが現在のラキールの前身である、レジェンド・アプリケーションズを設立した理由です。
新谷哲:営業基盤は中国側にあったのですか?
久保努:そうです。しかし、中国側の基盤といっても、親会社から下請けとしての仕事です。期間は長くて1年程度の契約だったので、ゼロからの起業と大差ありませんでした。
新谷哲:レジェンド・アプリケーションズで苦労されたことはございますか?
久保努:やはり、お金を集めることに当時は苦労しました。短期間で資金調達をしなければならなかったため、集まるか心配でした。当時は、事業会社やベンチャーキャピタルが盛んな時代であり、彼らから少しずつ資金を出してもらいながら集めていきました。
新谷哲:ベンチャーキャピタルなどからの資金調達を通じて、最終的には上場を目指したのですか?
久保努:そうです。基本的にIPOを目指して事業計画を立てました。
新谷哲:資金集めや上場について、不安はございましたか?
久保努:不安だらけでした。半年ほど経つと資金も減っていき「会社を潰すのでは?」と心配しましたが、チャンスは訪れるものです。当時の東京ガールズコレクションというファッションショーで、モデルが着ている服と同じものを携帯電話(ガラケー)で、その場で注文できるシステムを開発しました。それにより、携帯電話を使ったECのパイオニア的存在になります。そうすると仕事が入ってくるようになり、レジェンド・アプリケーションズという会社のスタートが切れました。
新谷哲:スタートが切れたときは、ホッとした気持ちだったのでしょうか? それとも「よし、これでさらに進める!」という気持ちだったのでしょうか?
久保努:「よし、これでさらに進める!」という気持ちでした。これをケーススタディとして活用し、お客様からさまざまな仕事をいただけるようになりました。「こんなことをやった経験があるので、これを試してみてほしい」という仕事の依頼も増えた記憶があります。
新谷哲:その後、ワークスアプリケーションズの傘下に入ることになりますが、どのような経緯があったのでしょうか?
久保努:2008年~2010年まで、リーマンショックの影響でかなり苦労しました。一方、ワークスアプリケーションズの創業者から「一緒に事業をやらないか」というお誘いがありました。ワークスアプリケーションズはERPパッケージを提供する会社で、ライセンスの販売と保守費が主な収益源でしたが、さらにサービスを拡大しようとしていました。具体的にはSI(システムインテグレーション)を含むサービスです。しかし、この分野を十分にカバーできるプレイヤーがいませんでした。これまでワークスが買収した会社もうまくいかなかったため「一緒にやってくれないか」という誘いが約2年にわたって続きました。私たち自身も飛躍するタイミングをつかめずにいたので、2011年に決断をしましてワークスアプリケーションズの子会社であるワークスソリューションズと経営統合しました。私はワークスアプリケーションズの執行役員になりましたが、その後、取締役になります。
新谷哲:ワークスアプリケーションズでの思い出はありますか?
久保努:たくさんあります。ワークスアプリケーションズでは、製品開発の進め方や文化の違い、人材に対する考え方など、色々なことを学びました。特に、若い人たちが自由に活躍する雰囲気に驚きましたし、制度や仕組みについても新しい発見がありました。一番の思い出は、合併したレジェンド・アプリケーションズを買い戻さねばならなくなった時です。
新谷哲: 2017年に、MBO(マネジメント・バイアウト)を実施して独立された時のエピソードですね。どのような経緯があったのか、お教えいただけますか?
久保努:2014年までは、両社とも順調に業績を拡大しました。しかし、2015年~2016年ごろになると、ワークスアプリケーションズの経営状況が悪化して、キャッシュフローが逼迫しました。そのため、レジェンド・アプリケーションズを売却することになります。その際も、私だけが残るわけにはならなかったため、MBOを行ったという経緯です。
新谷哲:その決断を下す際、何か悩む点はありませんでしたか?
久保努:迷うことはありませんでした。私が決断したのは、売却先が海外の企業に決まったという情報を知った時です。納得できず、すぐに香港まで飛んで投資家と交渉しました。この決断は一瞬のことで、考える時間もありませんでした。結果的には、同じ条件で私が買い戻すことになりました。
新谷哲:資金の準備は問題なかったのですか?
久保努:問題はありました。いくつかのファンドに相談しましたが、条件に合わないと出資してくれません。そのため、会社の現金資産や銀行からの借り入れ(デット)と、経営陣の出資金で調達しました。それによって約25億円の資金を手にし、買い戻すことができました。
新谷哲:すごいお話ですね。
久保努:しかし、ワークスの社員たちは、このような経緯があったことを知らないと思います。当時、ワークスから離れることについて社員からかなりの突き上げがあり「なぜ、ワークスから出るのか」と聞かれました。私は「ワークスに売却されるので出るしかない」と説明しましたが、信用されなかったです。「久保が勝手なことをした」と思われたりしましたが、走りながら理解をしてもらいました。
新谷哲:25億円で会社を買い戻した時から、上場を目指したのですか?
久保努:はい。借りたお金を返すために、そして投資してくれた人たちにリターンを提供するために、何らかの形で終着点が必要で、上場はその1つです。上場以外では、売却なども考えられますね。ただ、上場をするためには、通常のソフトウェアの受託開発だけでは難しいです。そこで、受託開発の会社から自社製品やサービスを提供する会社に変革することを決めました。クラウド時代の波に乗るために、クラウドにフォーカスしたソフトウェア製品の自社開発を目指し、そのビジョンを実現するために行動しました。
新谷哲:上場に向けての苦労はありましたか?
久保努:最初は少し軽く考えていた部分もありましたが、以前経験した上場と今回の上場では、審査の厳しさが全く違いました。当社が上場した2021年は、ちょうど東証が市場を改編するタイミングでした。そのため、以前の上場と比べて毎月のトレースも非常に厳格であり、業績だけでなく内部統制なども含めて基準が違いましたので「ここまでエビデンスを求められるの?」と感じるほど大変でした。
新谷哲:ありがとうございます。次は、株式会社ラキールの事業内容をお教えいただけますか?
久保努:当社は主に企業のDX(デジタルトランスフォーメーション)を支援するサービスを提供しています。具体的には、プロダクトサービスとプロフェッショナルサービスの2つのサービスを展開しています。プロダクトサービスは、当社の製品を活用しながらコンサルティングを行い、システムを構築していくサービスです。一方、プロフェッショナルサービスでは、昔からのお客様との関係を中心に、システムの開発や運用保守などを行っています。現在、特に注力しているプロダクトサービスでは、独自の技術を活用して、業務アプリケーションを構築するための手法を提供しています。ソフトウェアを部品化し、それらを組み合わせることでお客様が求めるシステムを作り上げることができます。そのための開発プラットフォームとして、当社の製品である「LaKeel DX」を提供しています。現在、この製品が私たちの主力となっており、積極的に販売を行っています。
新谷哲:ここからは違う質問をいたします。事前に好きなこと・好きなものをお聞きして「犬(愛犬)・ゴルフ」とお答えいただきました。犬がお好きなのは以前からですか? それとも愛犬がいるから好きになったのでしょうか?
久保努:小さい頃から家に犬がいて、物心ついた時には一緒にいました。だから、犬は家族の一員としてずっと身近な存在です。現在も、チワワがいますが、本当に可愛くてたまりません。一緒にいると、本当に癒されますね(笑)。
新谷哲:久保社長がちょっと意外なほど笑顔で可愛らしい感じです(笑)。次に座右の銘もお聞きしていまして、「変化こそ成長、変化を創り出す」とお答えいただきました。こちらを選ばれた理由はございますか?
久保努:これは会社でも常に話しているスローガンです。変化を通じて安定を築くという考え方で「安定は衰退する」という意味も含まれています。変化に慣れることで、変化そのものが安定になるのです。実際、変化こそが安定なのですが、同時に変化を通じて成長も遂げます。当たり前のことかもしれませんが、同じことを続けていたらいつか衰退してしまいます。だから、私たちは変化を起こすという考えです。そして「変化を創り出す」という言葉は、スティーブ・ジョブズがiPhoneを発表したことで世界が劇的に変わったように、私たち自身が製品を通じて社会にインパクトを与えるような変化を創り出すという意味が込められています。私たちはそのような社会にインパクトを与える変化を自らの手で創り出す会社や人材になることを目指しています。
新谷哲:非常に感銘しました。ありがとうございます。次が最後のご質問です。全国の経営者、これから起業する方に向け、経営者として成功する秘訣をお教えください。
久保努:私は成功したと思っていませんが、これまでの経験から言える成功の秘訣はいくつかあります。まず、目標を設定し続けることです。私もさまざまな夢や目標を掲げてきましたが、すべてが順調に進むわけではありません。けれども、諦めずに挑戦し続けることが重要です。私が会社を設立したのは2005年です。その間、辛い時や苦しい時もありましたが、諦めずに頑張ってきました。また、人とのつながりを大切にすることも成功につながる要素です。好き嫌いせず、さまざまな人と会って交流し、知識を吸収することは非常に価値があります。人との出会いを大切にすることで、意外なチャンスが訪れることもあります。ただし、チャンスは動いている人にやってくるものです。だからこそ、常に行動を起こし続けることが重要です。チャンスは平等に訪れると言われますが、実際には積極的に行動する人にチャンスが巡ってきます。だから、常に動き続けることが大切です。私はそう考えて行動していますが、まだまだ成功とは言えない状況ですけどね。もっと大きくなりたいと思っています。
新谷哲:久保努社長、本日は本当にありがとうございました。
久保努:ありがとうございました。
編集後記
新谷哲:今回のインタビューは、ラキールの久保努社長でした。上場企業の社長で、2回の上場、2回のMBO(マネジメント・バイアウト)を経験しており、本当にすごい経歴です。お話の内容に私も興奮しており、大変勉強になりました。特に「動かないといけない」という話はまさにその通りで、私自身も「動かなければいけない。成功していないのは自分がまだ動いていないからだ」と反省いたしました。リスナーの皆様も、ぜひ久保努社長のように変化しながら進んでいただきたいと思います。
久保努氏
株式会社ラキール 代表取締役社長
1964年生まれ。1988年、株式会社エイ・エス・ティ入社。1999年、株式会社イーシー・ワンで開発部門の責任者に就任。2005年6月にレジェンド・アプリケーションズを設立。その後、株式会社ワークスアプリケーションズの傘下に入り、取締役に就任。2017年10月、MBOにより独立。2019年に社名を株式会社ラキールに変更し、現職。MBOと同時に事業の主軸を自社開発の製品サービスへ転換し、2021年7月には東証マザーズ(現グロース)市場へ上場を果たす。ITのあり方やIT業界構造の変革にも挑戦し続けている。
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本インタビューは、Podcast「社長に聞く!in WizBiz」で配信中の経営者インタビューを編集したものです。文中に登場する社名、肩書、数字情報などは、原則、収録当時のものですので、予めご了承ください。
今回は、久保努氏(株式会社ラキール 代表取締役社長)の経営者インタビューを取り上げました。
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