本コーナーで掲載する経営者インタビューは、Podcast「社長に聞く!in WizBiz」で配信中の経営者インタビューを編集しています。今回、ご紹介する経営者は、神原太郎氏(株式会社リトルクラウド 代表取締役社長)です。(2018年2月 7日 2018年2月14日 配信)
今回は、AI(人工知能)を活用した事業開発を展開する、株式会社リトルクラウド代表取締役社長の神原太郎氏にお越しいただきました。「社長に聞く!in WizBiz」開始以来はじめての、平成生まれの経営者の登場です!22歳にして会社を立ち上げ経営者となり、現在は既存のビジネスモデルをリノベーションするAI専門家集団として、活躍の場を広げています。「堅忍不抜去華就実」という座右の銘は、華やかさではなく、地に足をつけた堅実さを重視した経営を、という神原太郎社長らしいお言葉となります。若くして芯の強さ、そして高い視点と熱量を持つ神原太郎社長のお話は、多くの刺激をもらえる内容となっております!
新谷哲:今回の経営者インタビューは、神原太郎社長です。まずはご経歴をご紹介いたします。1990年生、平成2年生まれ。平成生まれの経営者のインタビューは神原太郎社長が初めてになります。22歳で早稲田大学在学中に株式会社リトルクラウドを設立、代表に就任されています。自身の描く理想の社会像を実現なされ、人工知能領域への参入、世界一分かりやすいAIを解説できる企業としても多数の企業様に講義・講演しながら、AIオープンイノベーションプラットフォーム「MiLAI」を運営。登録企業総数は、開始2か月で100を超え、多数のAIプロジェクトに携わっている経営者です。今日はよろしくお願いいたします。神原太郎:よろしくお願いいたします。
新谷哲:では最初の質問です。東京ご出身とのことですが、小学校・中学校時代はどのようにお過ごしになりましたか?
神原太郎:小学校の時は真面目です。中性的で、男子とも女子とも中間で仲良いタイプの結構珍しいタイプで、すぐ泣きました(笑)。小学4年生までは、多分1日も欠かさず泣く少年時代です。中学受験を経て、早稲田実業学校に入学しまして、中学・高校時代を過ごします。中学の時は、声がミッキーマウスぐらいに声が高かったので、ずっといじられていました。中学の記憶は、声が高いのをいじられていたぐらいですね。
新谷哲:小学校の時から中学受験というのは、勉強ができたのですね。
神原太郎:小学2年生まで公文式に通っていました。親が転居することが決まっていて「私立のほうが良いだろう」と小学3年生から受験勉強を始めていました。その時が多分生まれて一番頭が良かった時期だと思います(笑)。
新谷哲:高校はそのまま早稲田実業にとのことですが、どのような高校時代を過ごされましたか?
神原太郎:高校では、アイスホッケーと音楽をやっていました。週6で練習があったので、ほぼアイスホッケーか音楽しかやっていないです。
新谷哲:アイスホッケーは高校からですか?
神原太郎:中学3年生からです。
新谷哲:アイスホッケーを選ばれるのは、珍しいですね。選ばれた理由はございますか?
神原太郎:本当は軽音楽部に入ろうと思ったのですが、雰囲気が生ぬるすぎて「3年間、この雰囲気の中にいたら自分どうなるんだろう?」と思いました。そんな時にアイスホッケー部に出会うのですが、部費が他の部活の10倍ぐらいあったので、「親はOKとは言わないだろう」と考えましたが、「何か人と違うものにチャレンジしてみたい」と親に頼んだら、条件は付きましたけどOKを出してくれました。
新谷哲:大学は、早稲田大学にご進学されています。系列の学校ということは、推薦で入ったのですか?
神原太郎:上がっています。
新谷哲:では、大学に上がる際、あまりご苦労はされなかったのでしょうか?
神原太郎:大学進学で苦労された方々には何を言われるか分からないのですが、そうです(笑)。第一志望の学部も、自分の成績からすると大丈夫だったので、高校3年生の2月まで部活をやり、全日本選手権というアイスホッケーの大会にも出ています。
新谷哲:羨ましいです(笑)。早稲田大学でもアイスホッケーを続けたのですか?
神原太郎:高校のコーチを2年間行いました。あと大学の同期がやっているアイスホッケーサークルの監督を、3年間やりました。
新谷哲:では、アイスホッケーを中心とした大学時代だったのですね。
神原太郎:大学2年生まではずっとバンド活動をやっていたので、そうでもないです。音楽で食べていきたいと思っていたのですが、20歳の時に人材系ベンチャー企業で、営業を始めたのが大きな転換点だったと思っています。
新谷哲:大学時代に起業し経営者になっていますが、どのようなきっかけで起業なさったのですか?
神原太郎:大学2年生の終わりから始めた営業の仕事がきっかけです。音楽に固執していた時に、「サラリーマンをやったことないのに、サラリーマンやりたくないと言うのは、ちょっと違う」と思い、「1回やってみよう」とサラリーマンを始めました。ベンチャー企業様の経営者に触れる仕事だったので、上場間際の会社の経営者がお客様でした。その経営者たちから、「神原くん、人ってこうなんだよ」とか「神原くん、企業というのはね」という話を聞いたことが、起業して経営者になるきっかけになりました。
新谷哲:大学2年生の時に、バイトとして営業の仕事をしたという形ですか?
神原太郎:インターンシップでした。日給を言うと社名とか出せなくなりますが、最初は日給1000円で始めて、結果が出て3000円、5000円、6000円と上がっていきました。
新谷哲:大学2年生でインターンに行くなんて、当時では意識の高い大学生という感じがするのですが、周りも皆さんインターンに行ったのですか?
神原太郎:全くいなかったです(笑)。なので、本当に僕の場合は、「サラリーマンの仕事をさせてくれる企業」とWEBで検索したら、「ベンチャー企業では営業をやらせてくれる」ということが分かり、「ベンチャー企業」という名前の企業を探していました(笑)。そのぐらい知識のないところから調べて、たまたま巡り合いました。
新谷哲:普通の大学生は、大学3年生から4年生になるぐらいに就職活動を始め、インターンを意識する中、大学2年生の時点でインターンを始めたのは、「起業して経営者になるから先にサラリーマンをやっておこう」という感覚だったのですか?
神原太郎:本当にバンドをやることしか考えていなかったのですが、教授に付いてカナダの学会に行ったことが転機となりました。街を行く時にちょうどハロウィンの時期で、街中をピーターパンが駆けずり回っていました。当時は2010年で、日本ではハロウィンブームが来ておらず「こんな街中にピーターパン走っていていいのか」とか、お店に入ったら「日本って本当にマニュアルだな」という衝撃を受けました。「自分の今までの当たり前って思い込みなのかもしれない」という気持ちが沸々と湧き上がり、「バンドをやっていて良いのか?」「サラリーマンをやったことがないのに、サラリーマンのことを社会の歯車と言って良いのか?」ということで、インターンをしました。
新谷哲:その後、起業し経営者となりますが、インターンの途中に経営者になることを決めたのですか?
神原太郎:ギリギリまでは就職活動をしていました。理想の組織作りしたいと思い、第一志望の会社も組織人事のコンサルティングを行っている会社も受けましたが、就活を通して「自分が理想とする組織作りができている会社がない」と気付きました。そこで「苦労してでも最初から経営者として理想の組織作りをした方が良い」と思い、創業して経営者となります。
新谷哲:その時は、どのようなビジネスモデルを考えていたのですか?
神原太郎:僕の中にあった思いは、経営者として「理想の組織を作る」ことが1つ。もう1つは、「人間の感性が生きる時代を作るにはどうしたら良いか」です。ずっと「今は人間の感性が阻害される時代。うつ病が増えているのも、働かなきゃいけないという前提があるからだ」とか、ありがちなことを考えていました。なので、全く事業領域とかを決めずに、会社を立てることを先に決めた状態でした。
最初の事業がSNSのマーケティング関連。SNSで経営を始めようと決めたのは、「22歳で創業して、信頼もない、実績もない若い経営者が、何だったら貢献できるか?」と考え「SNSか動画」だ、となりました。当時の相方の役員に「SNSと動画、どっちが良い?」と聞いたら、「俺ら若いからSNSのほうが良いんじゃない?」と言ったので、それで決まったような感じです。
新谷哲: SNSのマーケティングというのはTwitterですか?Facebookですか?それともSNS全部ですか?
神原太郎:一応全部だったのですが、メインの領域はだんだんFacebookに固まっていきました。
新谷哲:では最初の事業経営は、Facebookを中心としたSNSのマーケティングを指導する形ですか?
神原太郎:最初は、経営コンサルティングから始めました。初月は経営コンサルティングのやり方が分からないのに経営コンサルティングを売りました。2ヶ月目に知り合いの経営コンサルティング会社の方に「経営コンサルティングってどうやるのですか?」と聞きに行きました。社員はインターンを含めて5名いたのですが、半年間は経営コンサルティングをできるのが経営者である僕だけで、そこで初めて「経営コンサルティングって売るのもやるのも難しい」と気付きました。新卒とかをちゃんと採っていく会社の風土にしたかったので、そこで改めて「何を事業にしたら誰でも売れる仕組みを作れるか?」と思い、メジャーではなかったFacebook広告で事業経営しよう、となりました。
新谷哲:それは何年頃のお話になられるのですか?
神原太郎:2013年の9月です。10月ぐらいから徐々に広告案件が増えました。
新谷哲:2013年というと、かなり早いですよね。
神原太郎:黎明期ですね。なので、他の広告と比較にならない効果を出すことができ「僕らの力だ」と勝手に思い込みました(笑)。よく考えたら競合がいなかっただけです。
新谷哲:現在のリトルクラウドは、どのような事業で経営をしているのかお教えいただけますか?
神原太郎:人工知能の事業活用に特化しています。「人工知能を活用したい」と興味はある経営者は多いのですが、人工知能の商品を持つ企業でも、人工知能をあまり理解していないのが現状です。僕らは、提供しているAI事業活用プラットフォームの「MiLAI」というサービスに、日本の全国からAIの技術を持っている企業がご登録くださいます。その技術を使って何かをしたい人達とか「こういうことってAIでできるの?」とか「こういうAIプロジェクトが進んでいるんだけど、手伝ってもらえますか?」などのお問い合わせいただきます。プラットフォーム上には、AIの知見を持つ企業、AIの事業を具現化できる企業がいるので、それらをプロジェクトして進めていく事業を経営しています。
新谷哲:違う質問をさせていただきます。好きなもの・好きなことで「漫画・音楽・島籠り・社内で起こる想定以上のこと」というお答えいただきました。まず漫画についてお聞きしたいのですが、漫画は月に何冊も読まれるのですか?
神原太郎:漫画は月20冊以上です。
新谷哲:何か過去に読んだ漫画で一番のおススメはございますか?
神原太郎:今ハマっているのは、「響」という小説家になる女の子の漫画です。何で漫画を読むかというと、自分の心の整理のためです。経営者をしていると、高い視座を持ち、熱量を持たなければなりません。僕が今まで読んできた漫画は、熱量のある漫画が多いです。なので、あんまり元気ない時とかに漫画を読んで、エネルギーを補充しているイメージです。
新谷哲:好きなもの・好きなこと、のもう1つが「社内で起こる想定以上のこと」。これはどのような意味ですか?
神原太郎:言い方が難しいのですが、僕は優秀な人と働いた経験が少ないです。採用は経営者の器で優秀な人が採用できるかが決まるので、自分よりも優秀な人って多分なかなか現れないと思います。なので、僕が想定した以上のクオリティが、資料1つ、結果1つあるだけで嬉しくなるタイプです。そういうのを目にすると毎回嬉しいです。
新谷哲:座右の銘は、「堅忍不抜去華就実」。初めて聞く言葉で、非常に興味を持ったのですが、どういう意味でしょうか?
神原太郎:「堅忍不抜」と「去華就実」は別々の言葉です。去華就実から説明させていただくと、中高を過ごした早稲田実業学校の校訓だった言葉です。当時は意味が分からなかったのですが、経営者になって「良く見せようと、見栄を張ったり、派手なことをする経営者が破綻に近づいていく姿」を目にしました。それで「去華就実」の意味を正しく理解しました。見栄のために、オフィスを広くして綺麗にして、結果、固定費が払えなくなります。経営者であれば「花ではなくて実を取る」ことが必要だと考えています。
堅忍不抜は、後から付けました。これは経営をはじめて3期目に、当初の経営幹部が会社を抜けたり、社員が病気になったり、業績も悪化することがありました。経営幹部が抜けた要因が経営者の僕にあってこと、お金に苦労した経験があまりなかったことで、この時期は辛い思いをしました。しかし蓋を開けてみれば、この辛い時期に学んだことは多かったです。経営者をしていると辛いことは多くあります。「辛いから駄目だとか諦めるのでもなく、辛いからストレス発散と思うのでもない。しっかり耐え、それが良い学びになるのだ」という気持ちを持って常にいたいので、去華就実と絡めて自分の座右の銘になっています。
新谷哲:最後に、全国の経営者向け、これから起業する方に向けて、経営者として成功の秘訣・方法をお教え下さい。
神原太郎:まだ成功している経営者とは言えませんが、「一意専心」が経営者として成功する秘訣・方法だと思います。若いからか、経営者を始めたばかりだからか、いろいろやりたくなります。ですが、いろいろやりたくなると、経営は上手くいきません。
現在の事業経営は、AIという分野に深く絞って、その為に必要なことだけを学び、実行しています。1つのことに集中することで、経営者としても、企業としても、見えてくる世界がすごく変わったと実感しています。それぞれのやり方はあると思うのですが、「1つのことに集中して取り組む、諦めずにやる」ことが大事だと思います。
新谷哲:経営者として成功する秘訣・方法は「一意専心」ですね。私自身もちょっとふらふらしないで、ちゃんと一意専心しなきゃと思いました。神原太郎社長、本日は本当に良いお話をどうもありがとうございました。
神原太郎:ありがとうございました。
編集後記
新谷哲:今回の経営者インタビューは20代、平成生まれの経営者、神原太郎社長でした。大変頭が良くて、芯がしっかりした印象を受けました。その辺の40代、50代、60代の経営者よりもしっかりされています。座右の銘の、「去華就実」という部分は、私は本気半分冗談半分で「赤いソファを応接室に買ったり、赤くオフィスを塗ってチャラチャラした経営者がいる企業は潰れる」と言うことがありますが、20代でそれが分かっており、非常に優秀な経営者です。恐らくもっともっと成功される経営者だと思いますので、皆様も真似してみてはいかがでしょうか!
神原太郎 氏
株式会社リトルクラウド 代表取締役社長
企業と協働で自分たち学生発案の某不動産系Webサービスを立ち上げた他、学生団体などでの活動を経て、2013年2月20日に株式会社リトルクラウドを設立。
※本インタビューへの出演をご希望の方はこちらよりご応募ください。
本インタビューは、Podcast「社長に聞く!in WizBiz」で配信中の経営者インタビューを編集したものです。文中に登場する社名、肩書、数字情報などは、原則、収録当時のものですので、予めご了承ください。
今回は、神原太郎氏(株式会社リトルクラウド 代表取締役社長)の経営者インタビューを取り上げました。
『社長の孤独力』抜粋版(PDF29ページ)
無料プレゼント中!
『社長の孤独力』(新谷哲/著) の【抜粋版】を無料プレゼントしております!
71の課題の中から「資金・人材・売上・採用・後継者」の5つを抜粋いたしました。銀行からお金が借りれない、社員がすぐに辞めてしまう、売上を伸ばしたい、など、具体的なお悩みの解決策が掴めます。ぜひご覧ください。
無料プレゼントの詳細はこちら