本コーナーで掲載する経営者インタビューは、Podcast「社長に聞く!in WizBiz」で配信中の経営者インタビューを編集しています。今回、ご紹介する経営者は、黒川治郎氏(一般社団法人経営者ファースト 代表)です。(2019年7月24日 2019年7月31日 配信)
今回は、一般社団法人経営者ファーストの黒川代表にお越しいただきました。1979年、イラクのバクダッド生まれ、日本育ち。学生時代はプロサッカー選手を目指し、イギリスにも留学をされました。飲食店を複数店舗経営後、2010年には購入して数カ月の家を売却し、現地法人を立ち上げたカンボジアへ家族と共に移住をする行動力にあふれたお話は、多くの経営者様に大変参考になるかと存じます。ぜひお読みください!
新谷哲:今回の経営者インタビューは、一般社団法人経営者ファーストの黒川治郎代表です。まずはご経歴をご紹介します。1979年、イラクのバクダッド生まれ、日本育ち。学生時代はプロサッカー選手を目指し、イギリスに留学をされます。その後、起業し経営者となり、都内で飲食店を複数店舗経営。2010年にカンボジアの現地法人を立ち上げ、家族とともに移住をされて、農業、人材、海外進出コンサルティングは様々な事業を展開なさいます。2014年には第40回経済界大賞グローバルチャレンジ賞を受賞。2019年1月に8年ぶりに日本に帰国し、2019年4月一般社団法人経営者ファーストを設立なさいました。本日はよろしくお願いいたします。
黒川治郎:お願いします。
新谷哲:最初のご質問なのです。ご出身はイラクのバクダッドということですが、何年ぐらいいらしたのですか?
黒川治郎:1年半です。父が仕事で、イラクに駐在している時に生まれました。そのころの記憶はないのですが、1歳半の時にイラン・イラク戦争が起き、それから逃れて日本に帰国します。
新谷哲:帰国後は、どちらの地域で過ごされたのですか?
黒川治郎:埼玉県の鴻巣市です。
新谷哲:小学校・中学校時代はどのようにお過ごしになりましたか?
黒川治郎:サッカーが好きでよくやっていました。
新谷哲:高校は埼玉の高校に進学されるのですか?
黒川治郎:そうです。高校でもサッカーをしていました。
新谷哲:プロサッカー選手を目指していたとお聞きしましたが、小学校ぐらいからプロを目指し始めたのですか?
黒川治郎:何となくはプロになりたいと思っていましたが、本気になったのは大学生の時です。プロのサッカー選手になる最後のチャンスだと思いました。
新谷哲:どちらの大学に進学したのですか?
黒川治郎:東京理科大学に進学しましたが、サッカーのプロを目指すなら選ぶべき大学ではないですね(笑)。
新谷哲:東京理科大に入られたということは、黒川治郎代表は頭脳明晰ですね。サッカーをしながらでも勉強はできたのですか?
黒川治郎:そうですね。サッカーを行いながら1年間過ごし、大学がどんなところなのかを探りました。その結果、「1年限定でサッカーのプロを目指そう」と決め、大学を休学してイギリスに1年間だけ留学をします。
新谷哲:プロを諦めようと思ったのは、何かきっかけがあったのですか?
黒川治郎:イギリスでセミプロになったのですが、1年間でプロになれなかったからです。そこでスッパリと夢を諦めました。
新谷哲:その後、日本にお戻りになり東京理科大学に復学するのですか?
黒川治郎:そうです。ただ、ぼんやりとですが「経営者になろう」と考えており、「大学で学ぶより経営者の近くで働いた方が、経営者になる勉強になるのではないか?」と感じていました。そのため、大学に通いながら働きだしました。
新谷哲:どんな仕事をされたのですか?
黒川治郎:海外からいろんなものを輸入して販売するような小さな会社で、行ってみたらちょっと怪しかったです(笑)。でもここで、経営についていろいろ学ばせていただきました。
新谷哲:では、大学時代は二足の草鞋だったのですね。大学卒業後は、その会社に勤めたのですか?それとも、別の会社に入社したのですか?
黒川治郎:大学卒業はしていません。大学三年生の時に、新谷さんもお勤めになっていたベンチャー・リンクの存在を知りました。雑誌には企業家輩出機関とあり、「起業したい人を集めていて面白そうだ」と思い、大学を中退して入社しました。
新谷哲:ベンチャー・リンクには何千人という人が入社しましたが、新卒の年齢で中途採用という珍しい入社パターンでした。
黒川治郎:そうですね、よく拾っていただいたと思います。
新谷哲:ベンチャー・リンクは、何年ぐらいいらしたのですか?
黒川治郎:2年半ぐらいです。
新谷哲:ベンチャー・リンクで学ばれたことはございますか?
黒川治郎:日々いろんな経営者の方とお会した時は、学びだらけでした。ライフプランを作ったことで、将来のマイルストーンができ起業に繋がったと思います。
新谷哲:ではベンチャー・リンク時代に、起業して経営者になる日付や年齢まで決めていたのですね。起業して経営者になったのは、ベンチャー・リンクを辞めてすぐですか?
黒川治郎:ベンチャー・リンクを辞めた後、会社を1つはさみました。そこはベンチャー・リンクと提携関係にあったフランチャイズ本部で、2年間働かせていただきました。その後、27歳で起業して経営者になります。
新谷哲:起業するにあたって、怖さなどはお感じになりましたか?
黒川治郎:怖さは感じなかったです。
新谷哲:ご優秀でいらっしゃいますね。起業後は都内で飲食店を複数経営されますが、飲食店を選んだ理由はございますか?
黒川治郎:まず起業するのが先にあったので、起業後にどの事業を経営するかを考えました。ベンチャー・リンク時代にお手伝いをしたご縁のあるフランチャイズ本部から、既存店舗を買い取らせていただける機会があり飲食店の経営を始めました。
新谷哲:なるほど。その後、カンボジアに移住されますが、経営していた飲食店を畳んでから移住されたのですか?
黒川治郎:そうです日本の事業は全て譲渡や売却をし、会社も整理をして移住しました。
新谷哲:カンボジアを選ばれた理由はございますか?
黒川治郎: 3年ほど経営を続ける中で、「世界でチャレンジをしたい」という思いが強くなり日本を出ることを決めました。どの国に進出するかを決めるために、ヨーロッパ、アフリカ、アジアなど世界中を周ります。カンボジアに決めた理由は、現地の方の笑顔や純粋なハートが魅力的だと思ったことです。
新谷哲:当時、奥様やお子様もいらっしゃいましたが、反対はされなかったのですか?
黒川治郎:それが特になかったんです。(笑)当時は娘が1歳半で、都内に家を建ててしまったばかりという、最悪なタイミングでした。カンボジアに行くことを勝手に決め、「この家売ります」と嫁に言ったのですが、本当に何もなく決まりました。
新谷哲:黒川治郎代表の奥様もベンチャー・リンク出身で、私の以前の部下という間柄なのですが、そんな人だとは思いませんでした。大変優秀だなと今度褒めたいと思います(笑)。カンボジアではどんな事業を経営されたのですか?
黒川治郎:カンボジアには8年おり、いろいろな事業を経営しました。最初は孤児院の支援から始めます。支援事業を続ける中で、「主役はカンボジアの方達だ。彼ら彼女達が自立していかなければいけない」と感じ、養豚や養鶏、農業の事業を経営します。ピークは800ヘクタール、ディズニーランド16個分ぐらいの大きな規模で、農業の事業を経営しました。他にも色々な事業を経営し、上手くいかなかった経験もしています。その中でも非常に力を入れて経営したのは「絆ストリート」という日本のストリートを作るという事業です。日本の飲食店、美容室、ペットショップなどにストリートに集まって出店していただくプロジェクトです。現在は技能実習生の分野に力を入れています。
新谷哲:2019年に日本に帰国されますが、戻られるきっかけはございますか?
黒川治郎:いくつかありますが1つはタイミング的なものです。日本で4年間、カンボジアで8年間、合計で12年間経営者を続けてきました。僕の経営者としての師匠は「12年という周期が1つの区切り」という生き方をしていました。また2019年は僕が40歳になるというタイミングであり、日本が元号も令和に変わるタイミングでもありました。そこで経営者ファーストという会社を起業しようと決めました。
新谷哲:では、一般社団法人経営者ファースト様の事業内容お教えいただけますか?
黒川治郎:経営者ファーストの前身グループには、少額短期保険の会社を中心とする11の企業グループがあり、その中で「保険に近い形での共済」という事業を経営しています。これは経営者のための共済で、イメージでいうと「経営者同士の助け合いのインフラやプラットフォームを作る」というものです。経営者の方達が掛け金を少しずつ出し合います。ある経営者の会社が倒産し、自己破産するという時に共済金を受け取れるというシステムです。今回、経営者の共済をやろうと思った理由の1つは、「日本人の挑戦が減っている」と感じたからです。8年間いたカンボジアは親日の国で、「日本人と一緒に仕事をやりたい」と言っていただけることが多いです。これは先人の方々が作り上げた日本の価値ですが、現在は中国の勢いに負けています。パスポートを持つ人も減り、行動しなくなっているので、「挑戦する日本人がもっと増えるべきじゃないのか?」と感じました。経営者が挑戦しやすい環境になればと思い、この事業をスタートいたしました。
新谷哲:ここからは全く違う質問もさせていただきます。事前に「好きなもの・好きなこと」をお聞きして、「クイティウ・サッカー・マラソン」とお答えいただきました。「クイティウ」ってどんな食べ物ですか?
黒川治郎:ヌードルですね。ベトナムのフォーに近いカンボジアのヌードルです。
新谷哲:私は食べたことがないので、是非食べてみたいと思います。クイティウを気に入ったからカンボジアに進出した訳ではございませんよね?(笑)
黒川治郎:ではないです(笑)。でも食というのもすごく大事だと思っています。サッカー留学でイギリスに1年近くいて、食事が美味しくありませんでした。「パンが何でこんなに美味しくなく作れるんだ?」という経験をして、その国に住ませていただく上で、食事が合う合わないはすごく大きいです。
新谷哲:もう1つ、座右の銘もお聞きして「結果は思いの総量」とお答えいただきました。こちらを選ばれた理由は何でしょうか?
黒川治郎:経営者としての師匠が大事にしている言葉です。どれだけ思いを持って取り組めるか、それ次第で全ての結果が出る。結果に現れるのはそれだけ自分自身が本当に本気でそこに取り組めるか次第だ、と言う意味で今も大事にしている考え方です。
新谷哲:素晴らしい考え方です。次が最後のご質問です。全国の社長・経営者、もしくはこれから起業する方に向けて経営者として成功する秘訣をお教えください。
黒川治郎:僕は失敗の方が多いですが、経営者として成功する秘訣は「想いを持って挑戦すること」だと思います。世界には約200の国があり、70億人の人口がいます。日本の人口は減っていきますが、世界はもっとボーダレスになり世界の人達との競争も生まれてきます。そんな世界で経営者として成功するには、挑戦することが必須となります。先程の座右の銘にも繋がるところなのですが、やっぱり想い、ビジョンがすごく大事だと思います。行動し続けることは簡単ではないので、どれだけの想いを持って、本気で行動し続けられるが大事です。想いがあれば、誰に何と言われようが、どこでいろんな失敗があろうとも、行動し続けることができると思います。
新谷哲:ありがとうございます。ビジョン、想い、そして行動ということですので、大変勉強になります。黒川治郎代表、本日はありがとうございました。
黒川治郎:ありがとうございました。
編集後記
黒川治郎代表は、大変優秀な経営者でいらっしゃいます。突然カンボジア行くと言って、それについていく奥様も優秀だと感じました。カンボジアに行って次々と事業を立ち上げ、帰国して事業を立ち上げるバイタリティが、経営者という仕事には必要だと思います。経営者として成功する秘訣は、想いやビジョンを持って行動することなのだろうと、大変勉強になりました。
黒川治郎氏
一般社団法人経営者ファースト 代表
1979年、イラク・バクダット生まれ日本育ち。27歳で起業し、東京都内で飲食店複数店を経営する。2010年にカンボジア現地法人HUGSを立ち上げ、家族とともにカンボジアへ移住。2014年には第40回経済界大賞グローバルチャレンジ賞を受賞。2019年4月に一般社団法人経営者ファーストを設立する。
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本インタビューは、Podcast「社長に聞く!in WizBiz」で配信中の経営者インタビューを編集したものです。文中に登場する社名、肩書、数字情報などは、原則、収録当時のものですので、予めご了承ください。
今回は、黒川治郎氏(一般社団法人経営者ファースト 代表)の経営者インタビューを取り上げました。
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