たったひとりの人間が、大きな状況を変えようとするのはともすれば困難さがともなう。その困難さがゆえに、どうにかしなければと思いつつ、状況に押し流されてしまうことも多いだろう。
敗戦後に獄死した政治犯
ここで思い出すのが1冊の本、日高六郎著『戦後思想を考える』(岩波新書)だ。敗戦後の日本のありようを平易な文で語りかけてくる一書だが、その冒頭で「ひとりの人間の人権が蹂躙されたことに対するひとりの人間の怒り」により、「時の内閣が辞職した」話が書かれている。
昭和20年9月26日、敗戦後1カ月以上も経ったときにひとりの政治犯が獄死する。いまなお哲学者として名高い三木清だ。彼は疥癬に罹患し、苦しみながら、しかし誰にも看取られることなくひっそりと獄中にて命を落とす。
この三木清の獄死のニュースを聞いて、ロイター通信の外国人記者がすぐに事情を調べた。そして彼は戦中に捕らえられた政治犯のすべてがまだ獄中にいる驚愕の事実を突き止めた。驚いた記者は、所管である内務大臣に面会を求める。
「いまなお思想取り締りの秘密警察はその活動をつづけており、…治安維持法によって逮捕する」と語られたその内容は、インタビュー記事として占領軍向けの新聞であった『スターズ・アンド・ストライプ』に掲載された。
これを見た占領軍のマッカーサー元帥は、すぐさま信教ならびに民権の自由に関する制限の撤廃と政治犯の釈放を指令するが、なすすべをしらない東九爾内閣は辞職。後日、幣原内閣が組閣され、10月10日にすべての政治犯がようやく釈放されることとなったのである。
意識ある人間の勇気ある行動
日高六郎はいう。「三木清の死を知って、内務大臣のもとに訪れたのは、日本人記者ではなく、外国人記者であったこと(略)、外国人記者には少なくともそうした人権感覚があった」「だから私は『ひとりの人間の人権が蹂躙されたことに対するひとりの人間の怒り』が、当時の内閣を倒したと語るのだ」と結んでいる。
件の外国人記者には、戦勝側という立場、またジャーナリストという立場があったからこそ、内閣を倒すほどの影響力があったという見方もできる。しかし少なくとも、三木清の獄死に反応したのは、日本のマスコミでもなく、ましてや国民でもなかったことは事実だ。
「意識ある人間の勇気ある行動」――そこには性別、職業などのしがらみを超えた、いまある状況を改善するための方程式が隠されている。
ガンマー線を発見するなど物理・化学の分野で2度にわたりノーベル賞を受賞したキュリー夫人はこう述べている。
「要は、この生をむだにしないで、≪わたしは自分にできることをやった≫とみずからいうことができるようにすることです」
一度きりしかないこの人生で、1日1日、一瞬一瞬がどれほど貴重なものか。まずは目前の課題に全力で取り組むことである。自ら決めた道をやりぬいた! ―― 自分に対して、最後にこう言いきれる人が、真の勝利者だ。そして自らの勝利を飾ることにより、状況も大きく変わっていくことは間違いないのである。