「人生とは重き荷物を背負って坂道を登るようなもの。忙ぐべからず」との言をいまに残したのは、かの徳川家康。幼少の頃から人質として過ごし、その後も織田信長、豊臣秀吉の後塵を拝しながら、ついには征夷大将軍に登りつめた家康らしい言葉だ。
この家康の言葉をそのままモチーフとしたかのような名作が、山本周五郎の『長い坂』。山本周五郎の作品は、黒澤明をはじめとした多くの巨匠の題材として映画化されているのでご存知の方も多いと思うが、これはぜひ一読してほしい一書だ。
物語の主人公は、下級武士の息子、三浦主水正(もんどのじょう)。幼き頃のある日、父親と一緒に釣りに出かけたときに、いつもは通れるはずの橋が通行止めになっていた。聞けば、藩のしかるべき地位にある方の理不尽なお達しによるものだという。ただの下級武士であった父親は、頭を下げながら回り道をするのだが、いままであたり前と思っていたことが覆されてしまった主水正は怒り、決意する。二度と理不尽なことの通らない世の中にしようと。
以来、一介の足軽の子であった主水正は刻苦勉励し、藩中でも異例の抜擢を受ける。若き主君が計画した大堰堤工事の責任者としてさまざまな妨害にもめげず工事の完成をめざし、ついには城代家老にまで登りつめるのだ。
主水正が家老となりはじめて登城をするとき、いつも歩いていた道がゆるやかな坂道だったことに気づく。そして一歩一歩歩いていくさまを後ろから門閥出身の同僚たちが見ているのだが、彼らが目を離した瞬間に主水正はその視界から消えてしまう。なんとも象徴的なラストであり、「長い坂」「人生」とはいかなるものかを教えてくれるシーンである。
人生という長い坂を、人間らしさを求めて苦しみながらも一歩一歩踏みしめていく男の孤独で厳しい半生を描いたこの作品は、たしかにフィクションではある。しかし大なり小なり私たちが生きていくということは、まさに三浦主水正の姿と同様なのではないか。
長い人生には、愚痴や文句をいいたくなるときもあるに違いない。ある時には、負けたような姿になることもあるかもしれない。 憤懣やるかたない現実に、じっと耐え、時が来るのを待つこともあるにちがいない。それでも、現実の社会のなかで明るく調和をとりながら、味方をつくり、粘り強く、活路を開いていく。それが三浦主水正の姿であり、私たちのありようだ。 ようは心を折ることなく「負けない、断じて負けない!」という負けじ魂こそが、一切の根本となるのだ。
ある識者はいう。「いかなる団体であれ、個人であれ、前へ進めば困難がある。攻撃にあうものだ。それを乗り越え、新たな価値を生み出していく戦い、勝利する戦いが大事である。 何があっても『絶対に負けない』という気持ちで、目の前の苦難を乗り越えたならば、今までの何倍もの喜びが待っているに違いない」と。
苦労の末につかんだ栄冠は、努力なく成果を出した者を凌駕する喜びとかけがえのない土台を作ってくれる。「長い坂」の三浦主水正はそう教えてくれる。