赴任地に赴く江戸官僚は、立派な装備と格式ある行列をありがたく思い、涙したという。そして忠義を誓った。ひるがえって昨今の日本。豪華な海外視察だけがとりあげられるが、その根本にあるものは一体なんなのか。
立派な行列ができることは「ありがたきこと」
最近のこと。石原慎太郎都知事の海外視察の費用が、定められたものよりも高額・豪華として指弾された。下手すればそのあたりの国家予算よりも大規模な予算編成をしている東京都。その首長たる都知事の視察に多少の豪華さがあることは騒ぐことか、と思ってしまうのは楽観的すぎるか。
江戸時代の高級官僚たちが任地に赴くときの装備と行列も、たいそう仰々しかったという。
たとえば黒船来航後に日本に来たロシア使節プチャーチンの応接掛となり、後日、日露和親条約を締結させた川路聖謨(かわじとしあきら)は、若き頃に佐渡奉行として赴任したことがあった。
佐渡奉行とは京都・大阪・奈良・長崎など幕府直轄地に設置された遠国奉行のひとつ。周辺大名に対する指揮権も与えられ、その格式は中級の大名に匹敵するものとなる。任命された当時、川路はわずか500石の旗本。しかしその行列は、二本の鑓を立て、長刀、鉄砲を持たせるというもので、これは中級以上の大名でしか許されない格式だった。
川路がすごいのは、このように立派な行列ができることを「じつにありがたきこと」と思ったことだ。つまり上様(将軍)の恩と威光をいまさらながら感じ入り、感謝しているのだ。記録によれば、川路はそのありがたさに道中涙したとさえある。
誰に忠義を尽くすべきなのか
このような感激があったからこそ、川路は労を惜しまず職務に勤め、数々の業績をあげたといわれている。川路にとって、立派な行列とは自らの身を戒め、そのような任を与えてくれた上様への忠義を確認・表現する場であったのだ(事実彼は後年、江戸城開城のさいに割腹自殺を図った。忠義を貫いたとしかいいようがない)。
そう考えていくとやはり石原都知事の行状は、都民の付託を受けた一政治家としては、行きすぎだったかもしれない。またとかく指弾を浴びがちな官僚たちも同様だろう。彼らにとっての上様とは、現代に置きかえてみれば国民一人ひとりということになろうか。
つまりは豪華な海外視察をするさいに、そうさせてくれた国民に感謝し、かつ国民への献身を確認できれば、それはそれでよい。だが自らの力で試験の難関を勝ち抜いてきた官僚たちが大所高所から語る国家には、国民の顔が見えていないのでは。江戸時代の根幹をなしていた『武士道』と同様な哲学・思想が、現代は欠落しているような気もする。
そういえば江戸時代の幕府官僚にも、キャリアとノンキャリアがいたという。それは試験ではなく身分と家の格式によって分かれていた。町奉行には格式の高い旗本が就任・離任を繰り返すが、その部下たる与力・同心は生涯一同心であり、一与力のまま。
職務については何も知らずに奉行となる上司に、精通したノンキャリアの彼らが支えていた。やはりいまの日本の原型は江戸時代にあったと感じ入ってしまう話である。