本コーナーで掲載する経営者インタビューは、Podcast「社長に聞く!in WizBiz」で配信中の経営者インタビューを編集しています。今回、ご紹介する経営者は、所司和晴氏(株式会社所司一門将棋センター 代表取締役社長)です。(2022年8月17日 2022年8月24日 配信)
今回は、株式会社所司一門将棋センターの所司和晴社長にお越し頂きました。
所司氏は将棋棋士として活躍後、同社を創業し「しょうぎ伝道師」として普及活動、弟子の育成に注力をされます。弟子の中からは、渡辺明名人(棋王の二冠)をはじめ男性棋士7人、女流棋士4人を輩出されるなど、将棋界において一手の駒となり、数々の素晴らしい功績を残されています。将棋の考え方は、ビジネスとの共通点が多いとされています。プロ棋士ならではの視点から経営のヒントが得られますので、ぜひインタビューをお読みください。
新谷哲:今回の経営者インタビューは、株式会社所司一門将棋センターの所司和晴社長です。まずは経歴のご紹介です。1961年、東京都江東区生まれ。1978年に奨励会5級へ入会し、1985年にプロ棋士四段となられます。その後、五段、六段、七段と昇段。さらに『決定版 駒落ち定跡』など90冊以上の著書を出版されており、弟子として渡辺明名人(棋王の二冠)はじめ男性棋士7人、女流棋士4人を輩出されています。今では藤井聡太氏が大変有名ですが、渡辺明氏はそれに匹敵するほど知名度の高い名人でしたね。今回は、ご縁がありインタビューをさせて頂く事となったのですが、私はNHK杯テレビ将棋トーナメントを欠かさず見るほど将棋が好きなので、たいへん楽しみにしておりました。本日はよろしくお願いします。
所司和晴:よろしくお願いします。
新谷哲:最初の質問です。小学校時代はどのようにお過ごしでしたか?
所司和晴:小学校2年のときに、東京都江東区から千葉県船橋市に引っ越しをしました。カブトムシやクワガタを獲りに行ったり、小川で魚釣りをしたりと、自転車でどこへでも出かけましたね。一方で、百科事典を熱心に読むような一面もありました。将棋棋士はインドアタイプが多いのですが、私はインドア・アウトドアの両方が好きな子供でした。
新谷哲:将棋はいつから始められたのですか?
所司和晴:小学校1年生の頃に、百科事典で将棋のルールを覚えました。しかし、周りの子供達は皆、はさみ将棋やまわり将棋といった遊びの将棋をやっていたので、たまに父の友人が遊びに来たときに相手をしてもらえたぐらいで、中学2年生まで本物の将棋を指す機会はほとんどありませんでした。
新谷哲:中学校時代はどのようにお過ごしでしたか?
所司和晴:プロ棋士は数学が得意な方が多いのですが私は普通の成績で、どちらかと言えば美術やスポーツが好きでした。特に、バク転やバク宙が得意だったことは、将棋界でも噂になりましたね。将棋連盟の集まりで、西武ライオンズ秋山幸二氏選手の“バク宙ホームイン”をまね話題になったところから派生して、渡辺明氏と羽生善治氏の永世竜王を賭けたタイトル戦で、渡辺明氏が初代永世竜王になったら、私がバク転を披露するなどとmixiで盛り上がっていたそうです(笑)
新谷哲:将棋を本格的に始められたのは、中学時代からでしょうか?
所司和晴:はい。中学2年生の頃ようやく学校で将棋仲間ができ、一緒に公民館の将棋サークルにも通うようになりました。そして、中学3年生で初めて将棋道場へ行き、アマチュア6級の認定を受けました。小中学生でアマチュア四段以上の認定を受け、既に大会で活躍しているという方が多いので、私は非常に遅いスタートでした。
新谷哲:高校時代はどのようにお過ごしでしたか?
所司和晴:高校時代はとても将棋に熱中していました。もともと私は、プロ棋士を目指す気持ちは毛頭ありませんでした。しかし、将棋道場の常連さんに「君は才能がある。おじさんが試験料を出してあげるから、奨励会の試験に挑戦してみないか」と言われたのです。日本将棋連盟のプロ棋士養成機関である奨励会に入門するには、通常、師匠がいなければいけません。また、満21歳の誕生日までに初段、満26歳の誕生日を含むリーグ終了までに四段になれなかった場合は退会となる厳しい年齢制限があるので、天才と呼ばれるような限られた子どもだけが受けるような試験でした。当時の私は、高校2年生でアマチュア四段と年齢も高く実績も無かったので、当然入門は許されないだろうとお誘いを断りました。ところが、断った側から話を聞いていた席主の先生が、道場の師範であった平野広吉先生に電話をかけ、私の弟子入りを取り付けて下さったのです。そこから、運良く奨励会の試験に合格することができ、17歳に奨励会5級からスタートをしました。父親が大工だったので、私もその跡継ぎをするのか、美術関係にでも進もうと漠然と考えていところから急に将棋の世界に入り、承知の上ではありましたが改めて「厳しい世界に入ったのだな」という想いでした。
新谷哲:その年で奨励会に入門をされるとは、異例ですね!高校との両立は出来たのでしょうか?
所司和晴:はい。奨励会の同期は高校を辞める方が多かったのですが、私の場合は卒業まで1年わずかでした。当時の担任教師は将棋に理解を示し「学校の勉強はいいから、奨励会を頑張れ」と言って下さり、とても励まされ無事に卒業をすることができました。その先生は、私がプロデビューし将棋まつりに出演したときにも駆けつけ「君がうちの生徒の中で一番の出世頭だよ」と喜んでくれて、よい思い出として残っています。
新谷哲:高校卒業後は、プロを目指し将棋一本の活動をされていたのですか?
所司和晴:はい。しかし、高校卒業と同時に奨励会初段になれたことで当面の年齢制限の心配がなくなり、気持ちの油断からのんびり過ごしてしまった期間があります。効率よく勝ち星を上げていたのですが、本当の力は付いていなかった面があるのでしょう。気づけばその間に、成績をちゃくちゃくと上げていた後輩たちにまで追い抜かれてしまったのです。こんなことではいけないと、研究会に参加したり、将棋会館でアルバイトとしてプロ公式戦の記録係をしたりと、休みなしで頑張りました。こうして、なんとかプロ棋士になることが出来ました。ちなみに、高校1年生でアマチュア有段者の力がなくプロになったのは私の年代以降では誰もいません。スタートが遅くプロになれる可能性がごくわずかであったとしても、まずチャレンジをして、地道に努力を重ねていくことが大切だと身をもって感じました。
新谷哲:それは、すごい昇級ペースですね!そこまで将棋が強くなった理由などはございますか?
所司和晴:晩学だったことが大きく関係しています。奨励会に入れば、ある程度の稽古をつけて頂けるものですが、実は、私は奨励会初段の19歳になるまで、プロの先生に1局も指導対局を受けた経験がありません。将棋道場の席主の先生からも、師匠である平野広吉先生からもないのです。師匠は、私が入門する20年以上前にプロを引退されているなどの諸事情はありますが、幼少期から将棋を教わる環境には恵まれていませんでした。その分、本を大量に読みました。昔は、いい本があまり多くありませんでしたので、勉強になる本はぼろぼろになるまで熟読したものです。それが、将棋が強くなった理由でもあり、本を90冊以上書くことになった理由の1つでもあります。「若い方に夢を託したい」との思いも強く、棋士になってからは教える側に立ち普及活動に力を入れています。
新谷哲:所司和晴先生は、プロの中でも将棋にお詳しいとされていますが、ほとんどが独学ということには驚きです…!
所司和晴:本をたくさん読んできた分「定跡伝道師」というニックネームが付くほど、昔から研究されてきた最善とされる手の指し方には詳しいです。これはこれで嬉しいのですが、30歳以降からは世界中の将棋に打ち込んでいるので「しょうぎ伝道師」と呼んでいただけるともっと嬉しいですね(笑)。
新谷哲:プロ棋士時代の思い出はございますか?
所司和晴:私はあまり公式戦では活躍できませんでしたが、30歳の頃にC級1組の順位戦で9勝1敗の成績を取れたのにも関わらず、史上初めて昇級することができませんでした。当時は、運がないと上のクラスに昇級できない、しかしそれでもがんばり続けることが大切であると、葛藤を覚えました。しかしこの戦いをきっかけに、将棋界で自分らしい活動をして行きたいと考えるようになり、方向転換を図ったことで、形としていろいろなものを残せたのでとても嬉しく思っています。渡辺明名人をはじめ男性棋士7人、女流棋士4人と、弟子が多く育ったのもその一つです。
新谷哲:ありがとうございます。それでは株式会社所司一門将棋センターの事業内容をお教えいただけますか?
所司和晴:弊社は、将棋教室をメイン事業として展開しています。前回のインタビューに出演されている株式会社トリプルアイズが親会社なので、休日はそちらの本社で将棋大会・指導対局・大盤解説などのイベントを行うこともあります。子どもから大人まで楽しんでいただけるコーナーをご用意しており、初心者でも安心してお受けいただけます。
新谷哲:興味がある方は、通われてみてはいかがでしょうか。ここからは違う質問をさせていただきます。好きなもの、好きなことをお聞きして「世界の将棋・熱帯魚・甘いもの」とお答えいただきました。将棋は頭を使うので、甘いものが欲しくなるのでしょうか?
所司和晴:頭の疲れには、甘いものがとてもいいですね。ただ、生活習慣病になってしまわぬよう、最近は気をつけています…(笑)。
新谷哲:座右の銘もお聞きして「一歩千金」とお答えいただきました。こちらを選ばれた理由はございますか?
所司和晴:一歩千金というのは、多くの棋士が用いる将棋の格言で、最も弱く価値が低い駒である「歩」も、局面によっては「金」以上の働きをするという意味を持ちます。シャンチー(中国象棋)では、歩のことを兵と呼ぶので、同じような意味で「妙兵」と言う言葉もあります。きちんと戦略を練り「歩」を裏返して「ト金」にさせるのも、指し手としての能力の一つで、将棋の世界では「歩」を上手に使うというのはとても大事なことです。これは、社長の立場にも当てはめられます。どんな社員も重要な駒として認識し成長に導くことが、事業を成功させる上で重要だと考えます。
新谷哲:ありがとうございます。次が最後のご質問です。通常は社長として成功する秘訣をお伺いしているのですが、今回は、棋士として成功する秘訣を教えていただけますか?
所司和晴:先ほど申し上げたように、30歳の頃に大きな方向転換をしたのですが、そこで「世界」に目を向けたことで、私の棋士人生はより豊かなものとなりました。世界の将棋を学び、特にシャンチー(中国将棋)やチャンギ(韓国将棋)では日本代表として多くの国際大会に出場してきました。将棋を通じていろいろな国々の方と交流したことで友達も増え、とても充実していて幸せです。世界に興味を持つことで、きっとビジネスにおいての可能性も広がっていくはずです。海外の方に、祖国の将棋について聞くと、皆喜んで教えてくれるので、仲良くなるきっかけにしてみるのも良いかもしれませんね。
新谷哲:大変参考になるお話でした!所司和晴社長、本日はありがとうございました。
編集後記
今回は、所司和晴社長でした。僅かな可能性に掛け努力されたことが実になったというエピソードや、人材育成への想いなど、将棋の世界も経営の世界に通ずることが多くありましたね。ぜひ皆様も参考に、共に成功社長を目指していきましょう!
所司和晴氏
株式会社所司一門将棋センター 代表取締役社長
1961年10月23日生まれ。東京都江東区出身。小学1年時に独学で将棋を学び、中学3年時より将棋道場へと通われます。そして、1978年に奨励会5級入会をし、1985年にプロ棋士四段を経て、七段にまで昇段。そして、幼少期に自身が将棋の環境に恵まれなかった経験から、2015年には株式会社棋創社(現・株式会社 所司一門将棋センター)を設立し、将棋道場・将棋教室の運営を開始されます。弟子の中からは、渡辺明名人(棋王の二冠)をはじめ男性棋士7人、女流棋士4人を輩出しており、所司門下の奨励会は名門と称されるまでに拡大をされました。中国象棋のシャンチーでは日本の第一人者として活躍し、棋聯大師(フェデレーションマスター・FM)という称号を獲得しており、世界将棋の6面指しをも可能とする技能を持ち合わせています。著書は「決定版駒落ち定跡」はじめ90冊以上を執筆し、「しょうぎ」の普及活動、弟子の育成に注力をされます。
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本インタビューは、Podcast「社長に聞く!in WizBiz」で配信中の経営者インタビューを編集したものです。文中に登場する社名、肩書、数字情報などは、原則、収録当時のものですので、予めご了承ください。
今回は、所司和晴(株式会社所司一門将棋センター代表取締役社長)の経営者インタビューを取り上げました。
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