欧米の文明を真似ながら成長してきた日本の経済。そのお手本の一つであったIBMの知財企業への転進は驚くべき変革でした。
象徴的だった、IBMのパソコン事業撤退
経済成長が続いていた快活な時代を振り返ってみると、良くも悪くも“真似”をするものが明確でした。製品作りや経営手法、行政の手法など経済社会全般にわたって答えは、欧米にありました。先を行く彼らの作った製品や、組織形態などを参考にし、日本風に立て替えればうまくいくことが多く、そのためか先がある程度読めて、なんとなく安心感があったのではないでしょうか。
それが、1990年代から、実に真似し辛いものになっていきます。例えばかつて日本のコンピューター業界が行政と一体となって目標としてきたIBMが絶対的ではない状況があらわれます。アップルを創業したスティーブン・ジョブズやビル・ゲイツのマイクロソフトなど異才を放つ知の挑戦者たちが、個人の知性を武器に表舞台に登場してきたのです。
当初は神話の崩壊を感じさせたIBMでしたが、即座に変革に乗り出しました。ここからが、日本が追いかけにくくなるところです。1991年には伝統のタイプライター部門をスピンオフし、2002年にコンサルティング事業を買収、同年にはハードディスク事業部を日本の日立製作所に売却、2004年にはついにもっとも成功した事業であるパーソナルコンピューター事業を中国のレノボに売却してしまいます。2006年にはプリンター事業を日本のリコーに売却し、安価な労働力との対決を余儀なくされる労働集約型的な事業からは撤退してしまいます。
そして、コンサルティングやシステム構築など、高度に知的なビジネスソリューション分野に軸足を移し、1993年以降現在にいたるまで毎年米国一の特許取得数を誇っています。その数は増え続け、1998年に2658件と2000件台に乗り、2008年は4186件となっています。IBMは知的財産権の供与で年間10億ドルの利益を上げているといわれています。これは、レノボに売却したパーソナルコンピューター事業部の価格6億ドルをはるかに上回ります。
日本企業が不況に汲々としている間に、真似してきた相手は劇的な変化を遂げてしまったという感じでしょうか。しかも、いままでは目の前にあるIBMのパソコンという製品を目標にすることで、明確に目標がありましたが、今度はいわば無形のノウハウや知性、考え方といったもので、しかも恐るべきスピードで変化していきます。実に追いかけにくい。
史上空前のオリジナリティー、信長に少しでもあやかりたい
先例の崩壊と新しい局面を迎えた時代は、過去で例えれば、流行の“歴女”でおなじみの戦国時代といえるかもしれません。特に織田信長に見られる、中世の破壊と近代の創造です。この人物は、中世的価値を軽々と飛び越えていきます。足利将軍家なんて無用、比叡山は焼き討ち、朝廷も認めないという世界史でもまれに見る男です。
常に革新を続け、古い権力は容赦なく退場させます。そして、先人のいない新たな地平をデザインするのです。欧米を軽々と200年以上も先んじた鉄鋼船、楽市楽座などはその端緒で、いまのように他国の情報が簡単に豊富に手に入らなかった時代ですから、多少の情報はあったとしても完全オリジナルといっていいでしょう。とてつもない人間がいたものです。
信長のようなオリジナリティーを我々が発揮することはほとんど不可能でしょう。しかし、すでに個人のビジネスマンにまで多かれ少なかれ新しい価値の創造が求められています。きっと多くの人が感じていると思います。良くも悪くも究極の能力主義を強いられているようです。人より斬新に、新しい価値のあるデザインを描く訓練に日々怠りなく勤しみ、ここぞという時には、培われたその懐刀で切り結び、自分と家族を守りましょう。
文・キャトル・バン