新人にとっては、希望に胸をふくらませた4月から、早2カ月。当初の緊張がとけ、そろそろ自分のいまのありように疑問をもつ人も出はじめる頃ではないだろうか。とかく「となりの芝生」は青く見えるもの。大事なことは、いまいる境遇を、どう未来に結びつけていくかという努力にかかっている。ゴルバチョフ元ソ連大統領もそうだった。
ゴルビーの愛称で日本でも人気の高かったゴルバチョフ元ソ連大統領。ご存知のように、1985年にソ連共産党書記長に就任してペレストロイカ(改革)とグラースノスチ(情報公開)を進め、冷戦を終結させた。1990年、ソ連で最初で最後の大統領となりノーベル平和賞を受賞している。じつはこのゴルバチョフにも若き日、自分の意にそぐわない境遇での苦闘の日々があった。
元々農民の子であったゴルバチョフは、父を手伝い農場で成功。その功績をたたえられモスクワ大学に入学する。共産党にも入党し、輝かしきエリートとして卒業を勝ち取る。しかし就職が内定していた検察庁が突然、採用方針を変更。ゴルバチョフは、採用取り消しとなり、ロシア共和国の自分の生まれ故郷に戻らなければならなくなってしまった。
ソ連邦の中央に残り、政治の世界に関わることが決まっていたゴルバチョフにとって、それは自分の希望に反するもので、ひとつの挫折であった。しかし若き日のゴルバチョフは、心を決める。「ここ(故郷)で働こう!それが自分にとって最良の人生だ」と。
ゴルバチョフは、自分の育った故郷で働きはじめる。学生結婚をした妻・ライサと議論を交わし、書物を読みあさり、長靴をはいて泥まみれになりながら故郷を歩き回った。積極的に住民と語り合って、その意見や要望に耳を傾けもした。何もない辺境の地での20年間のそうした生活は、ゴルバチョフにとって自分の力を蓄え、改革への可能性を探る絶好の機会となった。
1974年、地方の第一書記(県知事)になっていたゴルバチョフに中央政界から声がかかり、47歳の若さで指導部入りを果たす。後に「冷戦の 終結」をリードし、21世紀の国際社会を開いたゴルバチョフの「新思考」は、一見、意にそぐわない境遇のなかで心を決めたことから生まれてきたのである。
フ ランスの哲学者ベルクソンは「未来を創造するためには、現在、何かを準備しなければならない」と述べている。大事なことは自分のいまいる境遇で立ち上がる こと、「自分にできることを、未来のために始めよう!」と挑戦することではないか。それこそがほかならぬ自分自身のための貴重な日々となっていくことに違いない。